千葉和成さんの個展「ダンテ『神曲』現代解釈集」
ダンテ『神曲』地獄篇地獄篇最終章地獄篇最終章のジオラマ天国篇先週土曜日、飯田橋のミヅマアートギャラリーに千葉和成さんの個展を見に行った。千葉さんは2011年のNY行きのとき、一緒のグループで活動した仲間で、その後、岡本太郎現代芸術賞・敏子賞を受賞されたりして活躍されている。個展は6年ぶりに拝見したが、さらなる飛躍を遂げられている。ひとりの人間の業とは思えぬ壮大で膨大で細密な造形。その力業は計り知れない。ひたすら黙々と、黙々と制作に向き合ってきたのだろう。饒舌でありながら、寡黙。過激な熱量を持ちながらも、冷静に世界観を組み上げていく。果てしなさ過ぎてくらくらする。天井に届くほどの作品群。天国篇の明朗なエネルギーに満ちた渦、流れ、光。かわいい立体作品。煉獄篇もよかった。地獄篇最終章のジオラマ、かっこよかった。洞窟の果ての抜け穴に希望を感じる。覗きこまないと気づかない穴だ。背景にもこと細やかに造形がほどこされている。その圧倒的な手技。妥協を許さない姿。そしてユーモラスなキャラクター造形、風刺、様々な場面を発見する楽しさ。悲惨な場面が多いのに、不思議と救いと癒しを感じられる空間。千葉さんの人柄がにじみ出ているからかもしれない。非常に清浄なものを感じた。彼の闇、怒り、泥臭さ、のたうち回り這いずり回り、彼なりの自虐やヒロイズムもあるだろう、失望感や徒労感もあるかもしれない。それらを上回る表現意欲が、だくだくと濁流となってほとばしり、大波のように押し寄せてきて、見る者を圧倒する。洗い流してしまう。波に洗われて、むき出しになった自分は、一体何者か?と作品の前に立ち尽くして自らを問う。これは"向こう側の世界"ではないのだ。―ここまでは個展を見終わって、帰りにお茶しながら一気に書いた感想だ。その後、脚本家でもあり演出家でもあり、カウンセラー的な能力も持つ友人に個展の写真を見せたら、描くのが「楽しくて楽しくて仕方ない」という感覚を感じるという。それを聞き、最初は意外に思ったけれど、私の中でまた少しとらえ方が変わった。千葉さんは使命や苦悩だけで描いているわけではないのかもしれない。確かに、喜びがなければ情熱は続かないだろう。あの果てしない細密な執拗なほどの造形は、純粋に描きたい創りたいという意欲からなされていることであって、喜んでのたうち回っているのかもしれない。それがあの不思議な明朗さ、ユーモアを醸し出しているのかもしれない。誤解を恐れず言えば、悪を描くのさえ、苦悩や苦痛を描くのさえ、楽しいのかもしれない。描き出す世界に身を投げ出し同化して。辿り着きたいところへ向かって、ひたすら突き進む。魂の選んだものに全身まみれて。そんなシンプルな、でもただならぬ熱情。それこそ燃え尽きることのない地獄の業火のように。