カテゴリ:アート
ずいぶん長いこと美術館に行けてなかったが、 先日、電車内の「モーリス・ド・ヴラマンク展」の広告に目が釘付けになり、 これはぜひ行かなくては、と思った。 無性にフォーヴの筆致と色彩になぶられたい衝動にかられた。 小雨の西新宿を、美術館へ向かった。 土曜の午前中はまだすいていて、じっくり作品と対するには 申し分ない環境だった。 白い壁、ほどよい照明、てらいのないシンプルな展示には好感がもてた。 また、ほとんどの作品がガラスケースがなく直接見ることができ、 とてもありがたい。 ヴラマンクの本領を発揮している後半の作品を特にじっくり見た。 「踏み切り、パリ祭」 不安を掻き立てるドラマティックなブルーグレイの荒れた空。 その中で鮮やかなトリコロールの赤。 「小舟」 荒々しさの中にピュアな美しさ、静けさ。 エメラルドグリーンの海の水、白く渦巻く波。 黒い雲に覆われた空、白い雲が走る。 手前には打ち捨てられ横になった小舟と 小さいながらもマストを立て、海に向かって置かれている小舟。 遠くの水平線の海の色は、近くで見ると大人しい青なのに 離れて見ると、ひどく貴い美しさではっとさせる。 この小舟は、どこを指して行くのか。 「秋のスノンシュの森の木々」 心につきささる冬木の枝々。 いつかどこかで体感したかのような劇的な静けさの一瞬。 厳しい風が吹き、孤独で、容赦ない、 そんな風土に親しみと懐かしさを感じる。 「雷雨の日の収穫」 今回のちらしにもなっている作品。 ブルーグレイの空。わらの強烈かつ陰鬱なオレンジや黄。 一瞬のひらめきにも似た美しさ、暗い異様な光を浴び、麦畑が輝く。 暗さの中の輝き。 彼方の空の濃い白。空の蒼のにじみ、流れ、動きに心を掻き立てられる。 南に憧れたゴッホとはまた違った青と黄が、ここにはある。 陰鬱なのに明るい。流れ、はやる気持ちをぶつけている。 「林檎の木とかむら麦の畑」 青緑の麦穂の群れが幻想的な雰囲気をかもし出す。 下草のビリジアンと黄は流れるような筆致が、何かしら急を告げる。 麦穂に比べ前景の1本の林檎の木は暗くほとんどシルエットのようだが、 世界を支配しているようにも見える。 「窪んだ道」 道の脇に不ぞろいに立つ並木の中の1本の木、 そのシルエットが黒い煙った雲と溶け合い、空に続いている。竜巻のごとく。 空の力、生命力がこの1本の木に集められているかのように。 やはり遠くの地平線近くの空の白さが、濃い。 「下草と夕陽」 木から垂れる朱赤。うごめき息づいている大地からにじみ出た血のよう。 大地のうめき、血脈。 太陽に照らされているが、太陽自身はもんやりとして力を潜めているかのような浅い赤だ。 暗い木々。地をはう赤、赤、赤。影をはらむ大地。 何か怖ろしい不穏な、それだからこそ魅力的なパワーに満ちた作品だ。 後期の中でも特に「秋のスノンシュの森の木々」以降、 リュエイユ=ラ・ガドリエールに移住してからの作品群にひどく共感する。 懐かしいほど。 分かる気がするのだ。一瞬の空、空模様を写したくなる気持ち。 心臓をぎゅっとつかまれる。 北の地、荒々しさ。 日常の風景がドラマティックにうねりを上げる。 不安、孤独、それが故の生きている実感、"今"という実感。 それらの作品群の中に立っていると、そんな言葉が私の中に湧き返る。 ヴラマンクはあまり意識してなかった時期からも 展覧会で1枚、2枚と作品に出会うたびにひどく心魅かれた。 好きでずっと持っていた絵葉書が、後でよく見たらヴラマンクの作品だったり。 今ではゴッホより好きなくらいだ。 なぜだろう、と思った。 この暗さ、激しさ、荒涼とした雰囲気。 それらは私の10代のころの、故郷での心象風景そのものなのだ。 風土そのものは異なっても、エッセンスが重なり、 シンクロする。 そんなことに思いが至り、ひどく納得した。 ヴラマンクを旅しながら、自分を旅した。 「没後50年 モーリス・ド・ヴラマンク展」は 損保ジャパン東郷青児美術館にて2008年6月29日まで。 おまけ・・・小雨の西新宿。 懐かしいなあ。 東郷青児美術館の入っている損保ジャパンのビル。 昔この中でバイトしてたなあ・・・なので私の中では今でも 当時のまま安田火災ビルと呼んでいる。 小雨で暗い空。高層ビル群もちょっと陰鬱な感じですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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