カテゴリ:思索・読書
昔の日記を読み返している。 これに着手するのに、少し躊躇した。 何しろ膨大だから。 そして時につらい思いを再実感しなければならないから。 と、同時にこれまでも部分的には何度となく再読してきて、 それは自分を見つめたり、いろんな発見があったり、 ある意味楽しい作業でもある。 とりあえず、2週間ほど前から取り組み始めた。 20数年前の中学3年生のときから始まり、 今はやっと10年くらい前まで読み進めた。 暗黒時代だった中学時代と異なり、高校の頃のを読むのは楽しかった。 話せる人がいない、とか自分の弱さなどに悩んでいたものだが、 思ったよりずっとたくさんの友達に囲まれて 楽しい充実した日々を送っていたことを改めて実感した。 それを読んでいた数日間は、 周りに懐かしい友人たちのあたたかい気配を感じながら過ごした。 幸せだったんだな、本当に幸せだった。 気づかずにいたその事実に、ひどく感謝したくなった。 この頃は、本や詩集をたくさん読み、気に入った詩を そのときの気分や日記の内容に合ったものを イラストつきで日記に頻繁に挿入している。 想いの代弁のように。 もう忘れている本もたくさんあるし、 選択した詩はセンチメンタルなものが多くて気恥ずかしいのだが、 この頃それらを通じて、自分の言葉や文章の方向性について、 基礎を築きつつあったことがわかる。 しかし全体的にはまるで躁鬱であるかのように、 気分の抑揚が激しく、自意識が強く、 案外エキセントリックな子だったのかもしれない。 自分では意気地のない優等生タイプのつまらない子だと思っていたけれど。 そして大学時代。 高校時代よりいきなりぐっと文章が変わり、 今の自分の基礎がもうここでできていると感じられ、興味深かった。 今の私の息遣いと同じ文章だと思った。 しかしこの頃は、ミュージカルサークルにはまりまくり、 行動することのほうに莫大なエネルギーを費やしたので、日記は少ない。 舞台やその周辺の出来事は強烈に記憶にあるので、 それでいいのかもしれない。 また、やっと深いことを話せる友人ができ、話すという行為により、 アウトプットを果たせていたので、書かずに済んでいたのだろう。 人生の中でも非常に印象深い、華やかな時代だった。 しかし、舞台活動によって、強烈だった自意識の殻を破る過程、 そしてその頃の恋愛感情については、もっと書いておけばよかったと思う。 演劇の養成所時代。 芝居と恋愛の日々。 芝居についても、実家の家庭状況についても暗黒時代で、 辛く後ろ向きな日々を送っていた印象を執拗に抱いていたが、 案外それなりに芝居に取り組んでいた様子が新鮮だった。 22歳のときバレエに取り組み始めた頃のことも新鮮。 特に23~24歳のころは恋愛に駆けずり回っていて、 恋愛的には一番華やかな時代だった。 でも読み返すには一番恥ずかしい時代でもある。 しかしそんな自分も受け入れようと、恥ずかしさを押し殺して読み通した。 思索的な文章も多く見られ始め、 自分なりの思索の土台を築き始めていたことがわかる。 就職、結婚。 結婚後のバイト。自分の方向性についての悩み。 社会的には一番安定していたにも関わらず、暗黒ではないけれど、グレーの辛い時代だ。 日記も少ない。 そうして28歳での"覚醒"とその前後、およびPieretta(歌とダンスのユニット名)の時代。 この頃の特有な空気は2度とないだろう。 あの"覚醒"の瞬間、そこへ至る過程は忘れられない。 貴重な数年だった。 この頃から非常に日記は饒舌になり、ほとんど人生そのものをなぞるように 日々、書くようになった。 悩みと答え、恋愛、アイデンティティ、舞台、創造、表現、人生、人との結びつき、 すべてが渾然一体となって、日々を覆っていた。 Pierettaでの初舞台をやりとげ、メンバー3人だけの打ち上げで 高揚して盛り上がるでもなく、騒ぐでもなく、 ただふーっとため息をついた、という場面を読みながら、 私もそのときと同じため息をついた。 「初めて虚しさを超えた」と書かれていて、まさにその通りだと思った。 ここでやっと人生が転回したと言ってもいい。 虚しさとの闘いの人生から、"生きて、在る"ことの、悦びの人生へ。 今日はここまで読んだ。 しかしそんな、私にとっては人生の頂点のような時代から その後訪れる崩壊の時代へは駆け足のようにめまぐるしく その頃のものを読むのが近づくのは苦痛でもある。 平常心ではとても読めない。 身体がシンクロするだろう。 不整脈が起きそう。過呼吸が起きるかも。恐怖が走る。 それでもそれでも読み進めるだろう。 なぜなら、つらくてもいつもこの作業に帰ってくるのは、 過去の自分の中に、これからの自分の方向性の大きな示唆を見つけたりするからだ。 裏を返せば、その恐怖を承知で日記を読み始めたということは、 今、それだけ今後の方向性を真剣に探りたいという欲求があるということだ。 ナルシストで恥ずかしくもあるけれど、 そのときそのときの悩みと葛藤と悦びを、 正直に書き残してきて、本当によかった。 どうやって自分はここまで来たか。 過去の奮闘する自分に、今の自分は励まされ、 今の自分は、孤独や悩みに苛まれていた過去の自分を受け止める。 そして本当に多くの人が周りにいて、さまざまに関わってくれたこと、 あらためて思い出し、実感し、幸せだなあと思う。 あの人たちはどうしているのだろう。 また、今、すてきな人々に囲まれていることも、 自分としては、ここまでの人生の実りを手にしているような気がして嬉しい。 みなさんに感謝しています。ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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