テーマ:ひとりごと(15376)
カテゴリ:出会い・交流
Oさんが亡くなった。びっくりした。ショックだった。 車の事故だったそうだ。 元レーサーとして、車の中で亡くなったのはそう運命づけられていたのだろうか。 52歳。 若々しく、頼もしい落ち着いた姿が浮かぶ。 心身ともに鍛えられた方ゆえ、死のイメージからまったく遠い存在だったのに。 Oさん。 最後にお会いしてから4年経った。 後悔がないと言えば嘘になる。 しかし私なりに精一杯関わった、それでいいではないか。 また、いくつもいいことを教えて頂いた。 レースでどんな困難と思えるときも、必ず通りぬける道がある、と。 レーサーはその唯ひとつの道を探し出すことに全力を傾ける、ということ。 かっこいい人だった。 Oさんとのこと。 勉強会や仲間の方の結婚式などでも顔をあわせたけれど、 やはりOさんとは100km大会で毎回一緒だったことが大きい。 100km大会のことを思い出したら、次々いろんな場面や人を思い起こしてしまい、 眠れなくなった。 100km大会は楽しかった。ありがたかった。 会をやめてから、なんとなくみなさんにあわす顔がなくて封印してきた。 けれど、お通夜で当時の会の方たちと久しぶりに顔をあわせると、 みなあたたかく迎えてくれ、接してくださった。 本当にありがたかった。 そして当時のいろんな細かい場面がリアルに甦り、 幸せだったこと、いい時間を過ごしたこと、学んだこと、 お互いに励ましあい、認め合い、支えあった仲間だということを再認した。 Oさんの言葉、して下さったこと、笑顔、など思い出した。 2005年の大会で私が100km完歩できたとき、最後のヴィクトリー・ロードを 一緒に歩いて下さったことも思い出した。 そうだった。 あのときは大会中、精神的にずっと助けられていた。 ゴールのときもいてくださった。 それを思い出したら、胸が震えるくらい、嬉しさと辛さが湧いてきた。 そしてOさんに改めて感謝するとともに、 翌年私のしたことが恐らくOさんの不興を買ったのだとずっと気にしてきたこと、 後悔してきたこと、それはもう捨てよう、と思った。 それよりOさんが私にくれたもの、してくれたこと、そのことがより大きくて、 それに感謝し、出会って一緒に活動できたことに感謝し、 悦べばいいのではないか。 過去に親しかった人が亡くなると、 心残りや哀しみや辛さや虚しさに襲われたりもするけれど、 それと引き換えに、封印されていたものが解かれ、 優しいあたたかい幸せな思い出がどっと戻ってくる。 昨年も今年もそうだった。 それが不思議。 失うとともに取り戻すものがある。 死に遭遇するとはそういうものなのだろうか。 まだうまく心の整理ができてないけど、 100km大会でのご縁に感謝し、いつまでもOさんはあのときのままの姿で 私の中に残り続けます。 ご冥福をお祈りいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.14 10:45:04
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