カテゴリ:思索・読書
突然また私の中に静寂の瞬間が訪れた。 しーんとあたりは静まり返り、微細な音や気配だけが 生き生きと私の中の心象風景に存在感を残す。 昼下がり。人の気配のない通り。家々は眠っているよう。 秋の日差しをあびて燃える紅葉。葉音。 そんな中、自分の中の静寂を壊さないようにゆっくりと、 歩いている。 ひとり歩いている。 今までもこれからも、ひとり歩いていくのだ。 何故こんなふうに、静寂の瞬間がやってくるのか、 どうしたらそうなるのか、自分でもわかっていない。 不思議。 昔からときどきそうした感覚におちる。 今日は"空とぶ詩人"の振付をしていて、うまく行ってなくて、 衣装のジャケットを着てやってみたところ、いいアイディアが浮かび、 それで少し振付の具体的なイメージが進んだ。 いい雰囲気になりそうだと嬉しくなっていたら、急に静寂が、きた。 何だろう? 自分の中にぽかんと穴があくように、空間があくように。 まるで水の中にもぐったときみたいに、フィルターがかかり、 普通の音が遮断される。 するとこの静寂が続いて欲しいと思う。維持しようとする。 あまり思考せず、感覚を鋭くしておこうとする。 現実的なことを考え出すと壊れてしまう。 本当なら、この状態のまま、どんどんわいてくる想念を 言葉にして書き留めたいと願う。 とりあえず、静寂を壊さないように、現実的な生活感あふれる自宅を出る。 自分を感覚に預け渡す感じだろうか? いつも理性のほうが強く、我が強く、自分を空(から)にできない。 しかし何か創っていて、いいものが出来たり、いいアイディアがわくときは、 恐らく無心だったり、感覚のほうが理性より勝っていたりするのだろう。 それを自分で認め、引き受けるとき、理性が自己を明け渡すのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.23 23:26:48
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