回向院(東京都荒川区南千住)
【訪問した日:2018(平成30)年10月28日(日)】※ 公式HPより 浄土宗のお寺です。 回向院のあたりは、江戸時代には、小塚原といわれ、品川の鈴ヶ森とともに処刑場があったところです。 寛文7年(1667)に本所の回向院が、牢死者や刑死者等を供養するために、この地に回向院を開創しました。なお、ここより南にある延命寺境内(南千住二丁目34番5号)には、無縁となったこのような人々を供養するために建てられた首切地蔵があります 回向院には、安政の大獄で獄死した吉田松陰や橋本左内らの墓所があります。 また、杉田玄白や前野良沢らがここで刑死者の腑分けに立会い、それをきっかけに「解体新書」を翻訳したと言われています。これを記念して、本堂入口右手に「観臓記念碑」が建てられています。 ※ カール・ゴッチの墓※ 鼠小僧の墓※ 腕の喜三郎の墓※ 橋本左内の墓※ 吉田松陰の墓〈回向院:東京都荒川区南千住5-33-13〉