調(つき)神社(埼玉県さいたま市浦和区)
【参拝日:2019(平成31)年1月27日(日)】※ さいたま観光国際協会公式HPより 社名を調(つき)神社と云い、地元では「つきのみや」と愛称されています。鳥居のない神社として有名で、狛犬ではなく兎が置かれているのも全国的に珍しいものです。<御祭神> 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ) 素盞嗚尊(すさのおのみこと)<御由緒> 「調宮縁起」によると、今からおよそ2,000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建。伊勢神宮へ納める貢(調)物(みつぎもの)の初穂を納めた倉庫群の中に造営されたため、貢物搬出入の妨げになる鳥居がないと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(905)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、武藏國四十四座のうちの一社と記載されています。 また、調(つき)の名が、月と同じ読みであるところから、月の動物と云われた兎が神の使いとされ、中世の月待信仰(月のもつ神秘に畏敬をなし、月の出を待って祈る信仰)の広がりと結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれていたようです。今も兎の石像や社殿に飾られた兎の彫物、兎の絵馬など所々に兎が配されています。<社殿の沿革> 南北朝時代の延元2年(1337)に、足利尊氏が一色範行に命じて荒廃した社殿を復興したと伝えられています。その後戦国時代末期の天正18年(1590)小田原兵乱で、再び焼失しましたが、徳川家康の関東入部後から江戸時代初期にかけて次第に再建されたようです。現在の社殿は、安政6年(1859)竣工で、総欅の権現造りです。一代前の本殿も、境内末社の稲荷社本殿として現存しており、こちらも総欅で一間社流造りという建築様式です。<社頭風致> 神域は約1万2千平方メートル、鬱蒼と生い茂った樹齢数百年のイチョウやケヤキ、ムクなどが見事な鎮守の杜を形成しており、江戸末期の建築にかかる権現造の社殿が、悠久の時を超えて静かに建っています。〈調(つき)神社:埼玉県さいたま市浦和区岸町3〉