【参拝日:2022年(令和4年)2月23日(水・天皇誕生日)】
※ 公式HPより
奥州街道に面した、元は大相模郷の1つの村である見田方の鎮守で、天王社と呼ばれた古くからある神社でもあります。見田方は大相模の元郷ともいわれ、早くから開けた地と伝えられ、江戸時代は忍藩(おしはん)(今の行田市)支配地で、柿ノ木領八か村といわれました。境内にある大小の建物には、天文21年(1552)在銘の弥陀三尊図像板碑が納められています。そのほか、境内には文和8年(1811)銘の改刻賽神塔などが建てられています。
改刻賽神塔はもと庚申塔(こうしんとう)(石の塔のこと)でしたが、明治元年(1868)神仏分離令の処置担当者として忍藩にかかえられた平田篤胤の門人木村御網が、「庚申塔(こうしんとう)などと申すな、賽神と昌之よ」と説いて、忍藩(おしはん)内の庚申塔をすべて壊させ、賽神に改刻させたといわれています。このため見田方村を中心に忍藩(おしはん)柿ノ木領八か村には、改刻賽神塔が数多くみられます。
〈八坂神社:埼玉県越谷市大成町1-71〉