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テーマ:寺社仏閣巡りましょ♪(2893)
カテゴリ:歴史同好会(寺社仏閣巡り)
【参拝日:2022年(令和4年)5月4日(水・みどりの日)】
※ 公式HPより 青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる当山は、応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院です。 当山は分福茶釜の寺として知られております。寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。 元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。 その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。 人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正十五年(一五八七)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました。 後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。 ※ 曹洞宗 青龍山茂林寺 〈曹洞宗 青龍山茂林寺:群馬県館林市堀工町1570〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月05日 18時07分14秒
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