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カテゴリ:歴史同好会(寺社仏閣巡り)
【参拝日:2023年(令和5年)5月20日(土)】
※ 公式HPより 後冷泉天皇康平六年(一〇六三年)、京都の石清水八幡を勧請し、今戸八幡を創建。昭和十二年七月に、白山神社を合祀、今戸神社と改称。應神天皇の御神徳は武運長久と慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としております。 後冷泉天皇康平六年(一〇六三年)、時の奥羽鎮守府将軍伊豫守源頼義・義家父子が、勅令によって奥州の夷賊安部貞任・宗任の討伐の折、篤く祈願し、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現在の今戸)とに京都の石清水八幡を勧請したのが今戸八幡(現在の今戸神社)の創建になります。 その後、白河天皇永保元(一〇八一年)、謀反をおこした清原武衡・家衡討伐のため、源義家が今之津を通過するあたり戦勝を祈願しました。その甲斐あって勝ち、いくさをおさめることができ、義家は神徳に報いて社殿を修復しました。 戦乱兵火に遭うごとに再建されること、しばしばでした。 江戸時代、三大将軍徳川家光は、今戸八幡の再建ののために官材を下され、舟越伊豫守と八木但馬守に命じて、寛永十三年(一六三六年)に再建が成りました。 大正十二年九月の関東大震災によって社殿はまたも灰燼に帰し、間もなく復興したものの、つぎは昭和二十年三月の東京大空襲でも重ねて被災の憂き目に遭ってしまいました。 こうした、被災=再建の歴史をくりかえしながら、同四十六年十一月、現在の荘厳な社殿が、氏子崇敬者の浄財によって造営されたのです。その間、昭和十二年七月に今戸の隣地に鎮座されていた白山神社と合祀、社名が今戸神社と改称されました。 御祭神は應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、そして七福神のうちの福禄寿です。 應神天皇とその母神功皇后は、大陸文化を輸入して日本の文化興隆を図られたことは周知のとおりで、両神の関係は母子の情愛の信仰が古代の日本にもあったことの證左です。ですから、八幡さまの信仰は、一般には武運長久の霊験と思われていますが、一方で、母が子を抱きかかえ、慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としているのです。伊弉諾・伊弉冉の二柱の神は、天神の命を受けて、日本の国土を創成し、諸神を産み、山海や草木を生したといわれる男女の神で、古くから産霊の神として仰がれています。”古事記”や”日本書紀”を見るまでもなく、縁を結び、生産の基盤を固める神として崇められてきました。 ※ 今戸神社 ※ ナミちゃん、いた 〈今戸神社(東京都台東区今戸1-5-22)〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年05月21日 22時08分24秒
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