【見た日:2024年(令和6年)11月14日(木)】
※ 公式HPより
この建物は、生絹仲買取引などで財をなした嶋野伊右衛門の店舗兼住宅として、江戸時代末期に建築された。土庇、出桁造を持つ外観と、見世から裏へ通じる通り土間がある間取りは、幕末期における当地の上層商家の特徴と考えられる。
屋根裏からは、建築主や上棟年月日などとともに、棟梁の大谷村(現越生町大字大谷)深田定蔵をはじめ、建築に関わった越生及び近在の大工、山方、杣取、挽方、鳶、石工、左官等数十人の職方名を墨で列記した柱材が見つかっている。
また、慶応2年(1866)に起こった武州一揆の「打ちこわし」による刃物傷が家中いたるところに生々しく残されている。
大正7年(1918)からは栗島家が所有し、平成20年(2008)まで、種苗・肥料商「改農園」を営んでいた。同年、金子家が購入し、今日に至っている。
「越生の今市」と呼ばれた往時の繁栄を偲ばせる貴重な歴史的建造物である。
※ 金子家住宅主屋
金子家住宅主屋(埼玉県越生町大字越生字町769)