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2006/09/26
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カテゴリ:日々なる雑感
 大学時代の友人に会った。
 そいつは、同じ部に入って、でもすぐにやめてしまった奴で、その頃からどこか変わったところのある奴だった。
 そいつは松本という。おれと松本は、そんなに頻繁に会うわけでもないが、会っては一昔前の若者みたいに、日本がどうだとか、世界がどうだとか、そんな青臭い議論をする仲だった。
 松本が部を辞めたのは、大学を辞めるからという理由だった。大学を辞めて何をするのかというと、青年海外協力隊としてアフリカだかアフガンだかに行くという話だった。
 変わった奴、と言ったのは正確ではないかもしれない。
「おれは自分にはやることがあると思うんだ」
「おれは誰かの役に立ちたい」
「おれは人のためになってる、っていう実感が欲しい」
 松本はいつもそう言っていた。
 それはあまりに正しくて、おれたちにはちょっとまぶしすぎただけのことだ。


 久しぶりに会おうと連絡を受けて、それは久しぶりという言葉では言い足りないくらいの久しぶりで、数えてみれば十年ぶりくらいの久しぶりなのだ。
「東京に来てるんだ。こっちにいる仲間で、誰かいるかなって考えたら、お前がいたから」
 そう言われておれは嬉しくて、とまどってしまった。
 久しぶりは嬉しいけれど、会ってどんな話をしよう。
 学生時代、そいつの正しすぎる言葉と行動に対して周りの奴は理解できないって態度をとるか、または納得できないって態度だった。
「松本くんの言ってることはわかるけど、なんかよくわからない」
「もっと大事なことあるんじゃないのか、自分の周りのことでも」
 なんというか、彼の言うことは立派すぎて、本や映画の中ではよくあることでも、それが自分の周りにあると、とたんに遠ざかってしまう。どうにも現実感がなくて、そんな話をしっかりとした目で語る存在におれらは慣れていない。
「あいつにはがんばってほしいけど、正直よくわからん」
 そんなことをいう声が、あった。
 おれは、そんな松本をわかってやりたかった。おれにとって世界は自分の中にある小さな宇宙でしかなく、松本にとって世界は自分の外にある未知なる広がりだ。おれは松本の思う世界を感じることはできないと分かってはいたが、分かりたいと思った。話を聞いて、言葉を返した。どこまでも交わらない議論をしながら、こいつは世界の不幸とか貧しさをダイレクトに感じる心を持っていて、他人の痛みをきっちりと実感できる強い心を持っているのだと思った。それはおれにはない性質で、おれはそのことにただ感心して、うなづくことを繰り返した。
 同意して、誰よりも松本を認めてやりたかった。自分にできることはそれくらいだと思ったからだ。


 出発の日は関空に仲間と見送りにいって、いそがしいままたいして話もできないまま別れた。
 ただ、最後に松本が言った言葉はずっと忘れられなかった。
 最後に、松本はおれの前に立って、おれの目を見て、いかにもあいつらしく全身でおれの方を向いて、言った。
「おれは、お前に感謝してるよ。
 お前といろいろ話せてよかった。
 お前に言われた言葉を、ずっと考えてた。
 お前に言われた言葉に、支えられてる」
 そう松本は言って、おれは「おう」と答えた。
 そのときおれは、「おう」としか言えなかった。
 自分が言ったどんな言葉が彼の支えとなったのか、そんな力のある言葉をおれが言ったのか、何かの勘違いじゃないのか。
 他の奴が言った言葉とか、何かの本で読んだ言葉を勘違いしてるんじゃないのか。
 そんなたいした言葉を吐いた記憶もない。
 おれにはわからなかった。
 その言葉を確認しようと思う間もなく松本は旅立っていって、結局のところはわからないままだ。
 それから、十年も経つ。


 それから、一回だけ松本から連絡があったことがあった。
 おれの三十歳の誕生日にメールが来て、
「Don't trust over 30!」
 それだけ書いてあった。
 ともかくも、十年だ。


 新宿の町で、おれはすぐに松本を発見することができた。
 昔と変わらない人懐っこい笑顔で、松本はおれを見つけた。
 おれは、昔とどれくらい変わったんだろう、どれくらい変わらないんだろう。
 そんなことが気になった。
 とりあえず飯を食おう、酒も飲もう、と店に入って、松本は前置きなしに話を始める。
 松本の話には世間話が存在せずに、いきなり本題なのだ。
 自分の仕事の話。学生の頃から今に至る話。付き合っている女性の話。そんな近況報告から、最近の政治や世界情勢の話まで。
 意外なことに松本はコンピュータのプログラミングの仕事をしていた。学生時代に行ったアフリカでは灌漑施設とか農場作りとかをしていたらしい。今はふたつ年上の女性と付き合っていて、結婚も考えているらしい。
 そんな話を一通りしてから、松本はおれに訊いた。
「で、お前はどうなんだ。どうしてる?」
 きかれて、改めておれは詰まってしまった。
 かつての根無し草から、今はしっかり根を張って生活しているらしい松本に対して、おれには語るべき生活があるのか。
 吹けば飛ぶような塾講師で、学生の頃から今に至るまで完結しない小説をいくつも書いて、付き合っていた女性とは縁も切れて何も残らない。
 語るほどのものが自分にはあるのか、と自問自答して、その答えは「なんもないなぁ」でしかない。
 それでもおれは、自分のことを語るしかない。
 大学時代から千枚くらいのボツ原稿を書いて、その間バイトに明け暮れて、六年前から塾講師をしているがこの先どうなるかはわからない。好きな女とは別れたが、いまだに壁から写真をはがせずにいる。その写真の隣にはマチュピチュの写真があって、いつか行きたいと思っている。その隣にはヒクソン・グレイシーの写真が貼ってあって、いつか倒したいと思っている。
 話しながら、自分に成長のないことが恥ずかしいような目になってしまう。
 おれはこいつにどう写っているんだろう。あきれてはいないか。情けなくはないか。
 自分が他人と同じフィールドに立っていないような引け目がある。
 自分が何かひどいミスキャストをしてしまったような感情。


 松本は言った。
「おれは、もうそこにはいられない。お前はすげえな。
 あの頃と同じように悩んで、同じように引っかかって、立ち止まってる。
 おれは立ち止まってるのが怖くて、不安で、荷物下ろして先に進んじゃったけど、お前はまだあそこにいるんだな。
 おれはそこにはいられないけど、お前はまだそんなところにいたのか。
 なんていうか、忘れ物をずっと忘れ続けて、まだ宿題やってんのか。
 まぁ益田。
 無責任だけど、そこにおってくれよ。おれはもうおれんけど、お前はおっといてくれ。
 お前がまだそこにおっといてくれて、嬉しかった。みんなもう悩むのやめて、ええことやってる。
 でもお前がそこにいると思ったら、がんばれるわ」


 すごいも何も、おれはこうしているより他にやりようがなくて、抜け出せるものなら抜け出したいと思ってやってきただけだ。
 もちろんすごくなんかなくて、おれには充分な助走がなくて、充分な貯えがなくて、飛び立つことができなかっただけだ。
 ペンギンみたいに、空を飛べずに水の中をもがいていただけだ。
 そう言う松本を前に、おれはまた「おう」と答えるしかなかった。
 お前のほうが、よっぽどすごい。


「お前に言われた言葉が支えになってた」という言葉を、きいてみた。
 それは、おれの小説の中の言葉だった。
 おれが大学二年の頃に書いた小説の中のセリフだった。 
 こんな小説を書いているんだ、と話していた中の言葉を、彼はずっと覚えていてくれた。


「主人公は、十年前に戻りたい、二十年前に戻りたいって、ずっと思い続けてるんだよ。
 今の自分に後悔があって、十年前に戻りたいって思ってるんだ。
 今の生活はあるんだけど、やり直したいという気持ちは消せない。
『あの頃に帰ったら……』そう思ってる。
 でも、あるとき気付くんだ。
 どうせそんなだったら、そう思うくらいだったら、
 いまの自分を、十年後から来たんだと思って、
 今をやり直せばいい。
 三十歳の自分が、二十歳に戻りたいと思うんじゃなくて、
 三十歳の自分を、四十歳の自分が満足できるように。
 どうせそんなだったら、そう思うくらいだったら、
 いまの自分を、十年後から来たんだと思って、
 今をやり直せばいい。」 
 

 こう書いたのは、二十歳のおれだ。
 三十二歳のおれは、今をしっかり生きているだろうか、
 そんなことを考えた夜だった。





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最終更新日  2006/09/26 05:46:25 AM
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