そもそも
そもそも
勉強は授業で教わるもの
なんて誰が言い出した?
知りたい欲求に掻き立てられて
学習者本人が
自ら動き回るものでしょ?
その欲求を持ち合わせていない
似非学習者は
何を学んだと言ったって無意味だ。
似非なんだよ、それは。
自学力をバッキバキに尖らせた学習者が
綺麗な学習ビジネスの
システムに乗っかってるだけの学習者たちに
負ける筈がない。
自ら動き回る学習者に求められれば
いくらだって手を貸す。
主語は常に一人称であり
塾は場所を表す副詞に過ぎない。
塾の先生に助けて貰いながら
というのも
副詞でしかない。
英語でいつも言うように
副詞は
オマケなんだ。
そして間違っても
受動態の主語にはなるな。
塾に通わされる
塾で授業を受けさせられる
塾でテストを受けさせられる
全部、受動態だ。
受動態の主語になってしまえば
ある意味楽だろうけどさ。
大量生産された
似非学習者になるのが
いちばん楽なんだ。
そうしてシステムに乗っかって
楽して
成績を上げてもらおうという
薄っぺらな願望が
ちらちら見え隠れする家庭は
うちのやり方には
堪えられないだろうね。
バッキバキの自学力なしで
大学受験の大海は渡りきれない。
高校でポシャる
典型パターンだ。
自学力こそ学力であり
勝敗を決める
大きなファクターでしょう。
さあ
今日も動き回ってくれ。
なんぼでも手を貸す。
二中期末テストまで
あと48時間。
頭にすべてを叩き込め。