カテゴリ:旅、温泉
≪ 弥彦神社を訪ねて ≫
上越新幹線で駅弁を食べる頃には、妻の機嫌もかなり回復していた。前夜は結構激しい夫婦喧嘩があったのだ。詳細は記さないが、旅慣れた私と旅慣れない妻の気持ちにずれがあったのだと思う。今回もJRの「大人の休日倶楽部」のフリー切符と安い温泉宿を組み合わせた旅で、私が全て計画を立てた。 これが切符が使える範囲、観光情報、宿泊情報、交通情報、そして天気情報などを組み合わせて考える必要があり、結構大変な仕事なのだが、簡単に観光を楽しめると思い込んでる妻と、そこから意識が違っているのだろう。私は旅に備えて、ミカン、お菓子、お酒なども用意し、レインコートに合わせて帽子も買った。夫婦喧嘩さえなかったら、旅は順調のはずだったのだ。 10月の蓼科高原への旅では雲に隠れて見えなかった赤城と榛名の山々が今回ははっきり見えて感激した。写真を撮る間もなくトンネルに入り、県境の長いトンネルを抜けると新潟県。山々の頂は白い雪で覆われていた。燕三条駅で弥彦線に乗り換え、終点の弥彦駅に向かう。 新潟の雪山 燕三条駅の凧 弥彦駅前の地図が正確な方角でないため、方向が良く分からない。それでも何とかホテルを探し、荷物を部屋に置いて、早速散歩に出かけた。目の前に閑静な公園が見える。その脇に「湯神社参道」の標識が見えたので行って見た。簡単に神社が見つかると思ったのだが、30分も登った山の上に、ようやく小さな祠があった。 湯神社鳥居 約千年前に猟師が偶然温泉を見つけたと案内板にあったが、温泉がそんな昔から出ていたかは疑問。帰路は麓の公園内を通った。村の公園にしては良く整備されていると思ったら、やはり弥彦神社の付属公園らしい。弥彦神社の周辺には温泉饅頭を売る店や宿泊施設が多く、古くから門前町として栄えて来たことが良く分かる。 弥彦の神 弥彦神社の祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。縁起によれば、越後地方を治めるため大和から派遣された神のようだ。お菓子屋さんの店先にあった神様の像が上の写真。私の考えでは越前から船で北上しながら北陸と東北の蝦夷を、徐々に征伐して行ったのだと思う。その航行の目印の一つが弥彦山だったのではないか。標高643mの山頂には奥宮が鎮座している。 説明板でここが延喜式に載った古社で、越後国一宮であることが分かった。道理でそれなりの門前町が形成されている訳だ。少なくてとも1300年以上は信仰されて来た歴史の重みだろう。弥は「いやさか」で繁栄の意味だし、彦は「日子」で男子の尊称。古代、中央から派遣された立派な男子が、越後を開拓した象徴がこの弥彦神社なのだろう。 玉の橋 隋神門 本殿 鼓楼 御手洗川に架かる玉の橋、隋神門、弥彦山を背にした本殿、時を告げる鼓楼など、境内は全て神々しさに満ち溢れていた。 摂社 これらは摂社。私には中央から派遣された勇者に征伐された、現地の豪族の霊を慰める社と思えた。出雲大社の一角に連なる東西の十九社の雰囲気にも似ている。この他、県内にはたくさんの末社があるようだ。境内には先日降った雪が残っていた。杉の木立、10頭以上飼われている神鹿なども強く印象に残った。<続く> (注記)旅行前に連載していた国立民族学博物館の展示品については、いずれ改めて紹介する予定です。どうぞご了解くださいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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