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マックス爺のエッセイ風日記

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2013.12.15
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カテゴリ:旅、温泉
≪ 甲府城からの風景 ≫

ショック?甲府駅で降り、ホテルへ向かおうとしたが道がない。慌てて地元の人に聞くと、バスに乗ると良いと教えてくれた。だが歩いて行くと言うと、その階段を登れと言う。道路は高架の上にあったのだ。道理で分からなかった訳だ。甲府城の脇を抜けてどんどん歩くと、15分もしないうちにホテルへついた。名前は老舗の旅館風だが、実際は洒落たシティホテルだった。ホテルスマイル

ダブルハート 館内には美術品が飾られてとても感じが良く、食事内容も高級だった。湯船は小さいながらも、天然温泉のかけ流し。しかも硫黄分が含まれている。確かに山梨は、信玄の隠し湯のように温泉が出る所ではあるが、街のど真ん中で硫黄分の温泉が湧くとは驚いた。朝食は和食のお膳を選んだが、バイキングの中からも自由に追加出来た。ごはん

歩く人足跡 最終日は駅へ向かう途中に甲府城へ立ち寄る。ここは目の前に県庁があり、駅も近い。一条小山に立つ甲府城は、武田氏の一族の居城で、武田信玄の城は、躑躅ケ崎(つつじがさき)にあった。濠はあるが天守閣はなかったと聞く。「人は石垣、人は城」で、人の和こそが城の守りと考えていたのだ。だが、彼の死後、信長に攻められて甲斐武田氏は滅亡する。どくろ



甲府城1.jpg 甲府城



王冠 武田氏の滅亡後、甲府城へは徳川の一族が入城し、その後将軍の覚え目出度い柳沢吉保が城主となった。地元の方に、武田氏の後に徳川氏が入府したことをどう思うか尋ねたら、「躑躅ケ崎の武田神社では今でも年に1度お祭りがあります」との返事。そうか。それが地元の方の偽らざる気持ちなのだろう。ウィンクグッド


甲府城2武徳館.jpg 武徳殿


爆弾 幕末期、甲府城は官軍の板垣退助によって無血開城させられ、明治の廃城令で破壊された。現在の城は、ごく最近になって復元されたばかりのようで近代的な構造だ。城内は舞鶴城公園として整備されている。その最上部、天守閣跡に登ると、広大な甲府盆地と周囲の山々が見えた。甲斐国は本来「峡(かい)の国」だったのだろう。山に囲まれたこの地で、信玄が海を目指した気持ちがとても良く分かる。荒波



山1鳳凰三山方面.jpg


 鳳凰三山


富士山 私は山の名前を良く知らないが、天守閣跡にある案内図によれば、これは鳳凰三山のようだ。


山2南アルプス方面.jpg


 南アルプス


富士山 そしてその向うに見える白い山々が、南アルプスの高峰。


山4富士山方面.jpg 


 富士山方面


富士山 晴れたらこちら側に富士山が見えるようだが、残念ながらこの朝は見ることが出来なかった。


東の空.jpg 東の空


晴れ そしてこちらが東の空。周囲は山ばかりで、方向が全然分からない。ホテルは駅の北側だと思っていたのだが、実際は南側だったようだ。びっくり?



甲府城3.jpg 甲府城の濠


歩く人足跡 一条小山から降りて別方向へ進むと、深い濠と城壁があった。そこから駅へ向かおうとして迷子になった。やはり方向を間違い易いようだ。まだ私達が乗る特急には時間があった。妻は街の様子を見に散歩へ行った。私は駅付近に観光地がないことを話していたのだが、貪欲な彼女はそれでも自分の目で確かめたかったのだろう。おとめ座

ノートえんぴつ 今回の旅で訪れた新潟と山梨は、期せずして上杉謙信と武田信玄の居城があった土地柄。戦国時代は川中島の戦いで、両雄が覇を競った。今は交通機関で簡単に移動出来るが、昔は馬や徒歩で険しい山々を越え、遥々旅したのだ。さて、今回は実りある旅が出来たが、次回はどんな旅をしようか。来年は仕事を辞める予定の妻だが、きっとそのうち何か要望が出て来るはずだ。おとめ座スピーカ<完>






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Last updated  2013.12.15 09:22:05
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