テーマ:暮らしを楽しむ(387622)
カテゴリ:生活雑記
正月2日。仙台は雪の朝。幸い頭痛は少し治まっていた。さっそく竹箒で玄関先と外階段の雪を払う。お節料理を戴いた後、妻と次男を連れて初詣に向かう。最寄駅まではバス。駅から5つ目の岩沼駅で降り、神社まで15分ほど歩く。猛烈な北風が冷たい。「参拝客が少ないね」と次男。「車で来てる人が多いんじゃないの」と私。やはり神社の近くまで来ると、大変な人混みだ。
真っ赤な鳥居が目につく。参道にはたくさんの屋台が出て、とても賑やかだ。初詣客が多い県内の神社は何と言っても奥州一宮の塩竃神社だが、多分2番目がこの竹駒神社のはず。正月も2日目なので、これでもかなり減ったと思う。 神門が見えて来る。「これは神社じゃなくお寺の造りだね」と次男。「付属寺院があったとは聞いてないけどね」と私。だが帰宅後ネットで調べたら、少し離れた場所に竹駒寺と言うのがあった。明治の廃仏毀釈で別れたのだ。ここは次男の観察が正しかったようだ。 神門の正面には神像が、そして背面には神馬が祀られていた。どちらもなかなかの風格だ。 親子で並ぶのは久しぶりだね♪ こちらは神門の背面で、帰りに撮ったもの。 こちらが竹駒神社の本殿。神社が鎮座する岩沼市は古代の官道が合流する交通の要衝だ。一方は東山道で後の中山道の延長。その後は奥州街道となり芭蕉も「奥の細道」で辿った道だ。武蔵国(東京、埼玉)から下野国(栃木)を経由して岩沼に至る。現在なら国道4号線、東北道、東北本線に当たる。 一方は海沿いの東海道。こちらは下総国(千葉)常陸国(茨城)を経由して岩沼に至る。後の奥州浜街道で、現在は国道6号線、常磐道、常磐線が通っている。2つの道はここで合流し、陸奥国府多賀城へと向かったのだ。 竹駒神社の祭神は倉稲魂神(うかのみたま)で、衣食住を保護する神。神社の別名は竹駒稲荷。昔から稲と深い関わりがあったのだろう。近くには阿武隈川が流れている。それが武隈(たけくま)となり、竹駒(たけこま)に変化したようだ。県南には日本武尊の遠征伝説が残され、彼を祀る神社が多い。 かつて稲を携えた弥生人がここを通って北上した。やがて稲作で力を得た豪族が巨大な古墳を築く。これに対し、より強固な国家体制を作るため大和朝廷は各地の豪族を従えて行く。日本武尊の伝説はその象徴で、蝦夷が征伐された東北は穀倉地帯へと変わって行く。 つまりこの竹駒神社は、古代の食糧増産と開拓の前進基地と考えれば良く分かる。人々は稲を植える土地を求めて、遥々東北までやって来た。自分達が昔から信じる神と一緒に。 宝珠にはどんな祈りが込められているのだろう。 たくさんの御神籤が結ばれているが、今年の運勢はどうかな? こちらは色んな願いが書かれた絵馬。それぞれの願いが叶うと良いね♪ 境内にはたくさんの末社や摂社があるが、これもその一つ。出雲の神様がその昔、信仰する人と一緒に遥々東北までやって来た証だね。 小さな社にも立派な賽銭箱が備えられている。 本殿の真下には、奥宮の入口がある。何だかとても不思議な雰囲気だ。 本殿真下に鎮座する祠。 こちらはお神輿で、4基あったうちの2基。1基毎に「家内安全」とか、「商売繁盛」とかのご利益が掲げられていた。これは「開運」と「厄難消除」。 奥宮を守るキツネは稲荷神の使いで、農業と深い関係があると考えられている。 最後が巨大な絵馬。今年の干支は午(馬)で、見事な神馬が竹駒の神に捧げられていた。この後電車で仙台に戻り、昼食に寿司を食べる。正月なので「廻らない寿司」。「結構美味しかった。ご馳走様」と妻と次男。んんん~?支払いは俺?。まあ良いか。親父が役に立つのはこんな時くらいなもの。妻が買った福袋を手に、1人だけ先に帰宅した私だった。(泣) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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