テーマ:マラソンに挑戦(5678)
カテゴリ:ランニング全般
太白山
次男が東京へ帰った夜は9時間眠り、昨夜は7時間眠った。普段の睡眠時間は6時間程度なので、相当疲れていたのだろう。昨日の朝食は、残り物のお節料理で妻がちらし寿司を作った。これはこれで美味しい。私は食べ物に関して文句を言わない方だ。さて、今日の写真は昨年の暮れに撮った近所の雪山の風景。文章とは合わないけれど、どうぞお許しを♪ 「足が衰えて走れなくなり、満足なマラソン暦が出来なくなったため、年賀状は今年で廃止したい」とあったのは東京の雲峰師匠。私の3学年上だと思うが、その気持ちはとても良く理解出来る。思うように走れないことや、年賀状を書くのが辛く感じるのは私も同様だからだ。 走れねど止めてはならじと家を出づ未明の走歩日課7キロ 走れぬもわれの参加のみちのくラン乾杯音頭を取るが役目に 走る歌人雲峰さんの気持ちが伝わる短歌だ。その「みちのくラン」は今年で10回目だが、どうやら今回が最後になるようだ。淋しいがこれもまた定め。この世に終わらぬものなど無いのだから。 「お元気ですか。私の方は変形性股関節症で走れなくなりました」とあるのは、岡山の走友Sさん。彼女と初めて会ったのは、第1回四万十川100kmマラソンのコース上。お互いに初ウルトラ挑戦だった。その後彼女は乳がんで両方の乳房を失い、年老いた両親の介護に明け暮れていたと聞く。まだ若い彼女がこんな風になるとは、18年前には考えてもいなかったのだが。 「足の方は少しずつ良くなり、昨年は白馬岳などへの登山を楽しんでいます」。これは水戸の走友Kさんから。水戸はわずか1年で辞職した最後の地。悲痛な想いの私を慰めてくれたのが同じ練習コースで走っていた彼女だった。その彼女は長く足底筋膜炎で苦しみ、ランニングから遠ざかっていたのだ。山登りが出来るまで回復して良かったね、Kさん。 神戸の走友Nさんの年賀状には、細かい字で近況が綴られていた。昨年は大分から熊本まで1人で横断し、四国と淡路島も走ったとある。かつてはギリシャの「スパルタスロン」や「さくら道」を何度も踏破した若い彼だが、今はレースから遠ざかり1人でマラニックを楽しんでいるようだ。彼の気持ちが私には良く理解出来る。私も今後は単独マラニックが中心になるだろう。 「富士登山中の私の姿をテレビで観た」とあるのは沖縄の走友Tさん。笑顔のアップが写ったらしいが、勿論私ではない。今は年老いて走れなくなった彼の柔和な笑顔を思い出す。私が沖縄を去ってから既に24年。今年は古稀記念にNAHAマラソンを走りたい。もし抽選に当たればだが、その時は妻も連れて行こうと考えている。 香川のYさんは徳島勤務時代の上司だが、年賀状には久しぶりに100kmを完走出来たことや、自分が生まれた韓国で走ったことが記されていた。大阪勤務時代の走友Oさんは、「まだ走っていますが、タイムはなかなか上がりません」とある。彼と毎日のように走った万博公園を、昨年の神戸マラソンの前日16年ぶりに訪れ、懐かしく思い起こした私だった。 奈良の走友Iさんの年賀状には、昨年出たレースの記録が奥様の記録と一緒に載っている。どちらもまだ現役バリバリで、写真の姿も若々しい。千葉の走友Tさんからは「100kmの時間内完走が難しくなりました」とある。彼の心境が私にはとても良く理解出来る。それは数年前に私が辿った道だ。 埼玉のSさんは4千km以上の「トランスヨーロッパ」を3回走破した唯一の日本人ランナーだが、彼の年賀状はこの1年参加したレースや行事の写真。距離もかなり短くなって、ようやく普通のランナーに戻った感じだが、同級生ランナーはまだまだ健在だ。 宮城UMCの先輩A山さんの年賀状には、昨年フルマラソン10回完走し、今年は20回完走が目標とある。心臓の手術で数年間ブランクがあり、古稀を数年過ぎた彼がここまで復活するには並大抵の苦労ではなかったはず。その強靭な精神力に、心から拍手を送りたい。 宮城UMC仲間のT田氏の年賀状には、昨年愛嬢が結婚された時の写真。例によって1年間のレース状況が細かく記録されているが、娘の幸福を祈る父親としての彼の姿に心惹かれる。年末に走ったレースに、結婚したばかりの娘さんが応援に駆け付けたとUMCの掲示板にあった。何とも心温まるエピソードだ。 さて、今年は全国の走友達にどんなドラマが待っているのだろう。年頭に際して、ランニング仲間の健康と健闘を祈りたい。皆元気で今年も走ろうね~!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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