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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.01.13
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カテゴリ:旅、温泉
日本地図.jpg

 昨年私が訪れた県は、*北海道、*青森県、*岩手県、*福島県、埼玉県、*千葉県、*東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、*静岡県、大阪府、*兵庫県、*沖縄県の15都道府県。このうち走ったのは*がついた9都道府県。これにはレースだけでなく、旅行先で走ったものも含まれている。

 既に平成8年に全都道府県の訪問を達成し、平成17年には全都道府県の走破を達成したため特段の感慨はないが、振り返って見れば我ながら結構旅したと思う。今年は宿泊を要するレース数を妻に制限されたため、行き先はぐっと少なくなると思う。


三内子供墓3.jpg 三内丸山遺跡の子供の墓


 昨年旅した中で印象に残ったのは、日本の歴史について考えさせられた場所だ。北海道旅行で訪れた函館市の五稜郭では、幕末期の戦いを実感した。あそこは幕府軍が立て籠って官軍側と戦った最後の場所。激しかった戊辰戦争を経て、ようやく日本が近代国家建設に向かったのだ。

 同じ函館市の志海苔館(しのりだて)は、南北朝時代の戦いで敗れた関東の武士が蝦夷が島(後の北海道)まで逃げ落ちて造った中世の山城だが、旅行最終日の朝に走っていて偶然見つけた。城を造ってアイヌと戦いながら内地との貿易を始めたことも、初めて知った事実だった。

 青森市の三内丸山遺跡は、今回で2度目の訪問。付属施設も含めて無料で入場出来たことに驚いた。最初の訪問時よりずっと園内が整備されており、実際に発掘調査している現場を見られたことは幸いだった。実際に自分の目で確かめると歴史が身近に感じられ、自分達の遠い祖先がどんな暮らしをしていたのかが良く分かる。



稲荷山2.jpg 埼玉県稲荷山古墳


 新潟県長岡市の新潟県立歴史博物館の展示品にも圧倒された。特に印象に残ったのが雪国の暮らしと、縄文時代の展示。縄文時代の石器や土器の素晴らしさには目を奪われたものだ。新潟も東北に劣らない縄文文化が栄えていたことを実感した。

 埼玉県行田市への旅では、長年の念願だった「さきたま古墳群」を見ることが出来た。大きくて立派な前方後円墳を10基以上自分の目で確かめ、うち2基には実際に登って見ることが出来た。縄文から弥生と時代が代わり、米作で権力を蓄えた地方の豪族が古墳を築いたのだが、稲荷山古墳から出土した鉄剣には、大和政権の天皇と思しき名前が金で象嵌されていたのだ。


赤山(見張り台).jpg 竹富島にて


 沖縄県八重山地方への旅では驚くような発見をした。写真の解説板は、赤瓦屋根で有名な竹富島の集落を見下ろす高台にあったもの。ここには何と、竹富島住民の先祖は源平合戦に敗れた平家の落武者だと書いてある。「赤山丘」の名も平家の赤旗に因むものだろう。なお、琉球王朝の成立は13世紀で、源平合戦より100年以上遅いのだ。

 沖縄に「南走平氏伝説」があることは本を読んで知っていたが、まさかこのような形で竹富島に残されていたことが不思議だった。宮古島には倭寇の基地があったとされているし、沖縄本島には源氏の武将が琉球王国に先立つ王統の祖先とする伝説が残されている。もちろん古くから和服を着て「日本語」を話していたし、琉球王国の文書は全て漢字混じりの平仮名で書かれていた。


明治期の沖縄人男.jpg 

 明治期の沖縄県民(男性)


明治期の沖縄人女三代.jpg

 明治期の沖縄県民(女性三代)

 
 これは明治期の沖縄県民の貴重な映像。男性はそろって髷(まげ)を結っており、服装から見ると旧武士階級の士(さむれー)だと思われる。「さむれー」は勿論「侍」が変化したもの。この武士階級の不満を逸らすために、琉球藩から沖縄県になるいわゆる「琉球処分」が遅れて実施された。

 17世紀初頭の島津藩による侵攻で、琉球は実質的に日本へ帰属していたが、中国との柵封体制は続いていた。これは琉球及び島津藩(日本)にとって、中国との貿易による利益が大きかったのが継続の理由だ。このように琉球は一見すると日本と中国へ「二重帰属」の形を取っていた。これを巧妙に隠していたために、中国から琉球王国に来る柵封使は全く気づかなかったのだ。




川平宮鳥御嶽3.jpg 石垣島宮鳥御嶽


川平宮鳥御嶽4.jpg 御嶽の最奥部


 写真は石垣島川平集落にある宮鳥御嶽。御嶽は沖縄本島では「うたき」と発音するが、石垣島では単に「おん」と呼ばれる神聖な場所。これは沖縄に残っている原始神道の形。日本でも本来は山や大きな岩や木が信仰の対象だったのだが、やがて山上から中腹、さらに麓へ下りて神社が建てられる。

 沖縄では今でも、ちょっとした高地や大きな岩や樹木が聖地として崇められている。時として付近には白骨が散らばる風葬墓もある。沖縄勤務時に、私はそんな場所を何十個所も訪れた。猛毒のハブが潜む危険な場所が多い。



川平宮鳥御嶽6.jpg 宮鳥御嶽の森


 石垣島の御嶽には外来者が無断で立ち入ることが禁止されている。私は沖縄を愛する者の一人として、長い祈りの後で入らせていただいた。もう二度と体験は出来ないだろう。御嶽の森は、内地の鎮守の森と考えれば良い。同じようにきっと崇高な気分を感じるはずだ。私の旅はこんな風に訪れた場所から歴史を学んだり、その土地を走ったりして楽しんでいる。

 因みに旅先で走ったのが中心だが、私が走った最北端、最東端は北海道の知床半島(訪問の最東端は納沙布岬)で、最南端は沖縄の石垣島(訪問の最南端は波照間島)。それに昨年最西端の記録が更新されて西表島となった。それらの貴重な映像のほとんどは捨てた。私は自分の脳裏に刻んであれば良いと思っている。それすらいずれは風化するだろう。それもまた自然の摂理だ。






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Last updated  2014.01.13 06:10:23
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