テーマ:暮らしを楽しむ(387587)
カテゴリ:生活雑記
≪ 神社編 その1 ≫
1月14日火曜日。午前中は公園で11km走り、午後からは山越えで9km先の大崎八幡宮へ向かいました。この日はお正月の飾り物を持参し、神社の境内で焼き清める「どんと祭」があります。例年は近所の神社へ納めるのですが、こんな遠い神社まで行くのは初めて。実はここのどんと祭が県内では一番有名なのです。それに上半身裸(男性)または白装束(女性)でお参りする善男善女の姿が見られるのです。 幸い青葉城への山道は凍ってませんでした。川内、亀岡を経由して「牛越橋」を渡ります。かつて青葉城の石垣を築くための石を運ぶ牛が、広瀬川を渡ったのがこの地点。それが橋の名の起こりで、付近には仙台市内で最も早く出来た、明治時代の小さな発電所が残っています。この橋を渡るのは多分40年ぶりくらいでしょうか。橋を渡り坂を登ると、やがて大崎八幡宮が見えて来ます。 この神社は戦国時代、現在の宮城県の県北大崎地方を本拠地とした大崎氏が祀ったものでした。やがて山形の米沢から移って来た伊達政宗が大崎氏を破って支配下に置き、仙台へ城下を開くとこの神社も一緒に仙台に移ります。城の鬼門にあたる方角の小高い山上に鎮座する八幡宮は、仙台の町を鎮護する役割を担って来たのです。 この辺りは神社の門前町として栄え、町名も八幡町と呼ばれて来ました。私が勤め始めた昭和30年代の終わりまでは市電が通っており、神社の前が終点でした。そしてこの先の山形方面には、ほとんど人家がなかったのです。文字通り仙台の旧市内の外れでした。それが今では国道の交通量が増えて市電がなくなり、町名も八幡○丁目に変わりました。 お正月の松飾りなどを手に持った大勢の参拝客が、石段を登って行きます。その脇を縫うようにして、裸参りの列が本殿に向かいます。その模様は徐々に紹介しますね。 手と口を清める手水舎に、神社の縁起が書かれた説明板があります。元々は皇室の尊崇が篤い九州大分県の宇佐神宮の神を勧請したようですが、武運を祈る八幡宮としての性格がさらに強まったのでしょうか。 手水舎の傍には、金刀比羅宮の小さな社も祀ってありました。 大崎八幡宮は10年ほど前までは大崎八幡神社と呼ばれて、市民に親しまれて来ました。仙台市内には地名を冠したたくさんの八幡神社がありますが、単に「八幡神社」と言えば、この神社を差します。これは神前に奉納されたお神酒です。 参道の両側にはずらりと屋台が並び、縁起物などいろんなものを売っていてとても賑やかです。 また社務所では、参拝客のために絵馬も売られています。 御神籤が枝に結ばれています。今年の運勢は、果たしてどうだったのでしょうね。 大勢の善男善女の夢が叶うと良いですね。今日は神社編の前半部で、まだ神社の建物も出て来てません。またどんと祭編(御神火編:前・後編)、裸参り編(前・後編)もまだ未登場です。さらに「おまけ編」まで予定しています。そんな訳でこれからも、どうぞお楽しみに~。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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