テーマ:暮らしを楽しむ(387568)
カテゴリ:生活雑記
≪ おまけ編 ≫
大崎八幡宮のどんと祭と裸参り、楽しんでいただけたでしょうか?目に見えるものを次々に撮ったためその順番で写真を載せたら、きっと何が何だか分からなかったでしょうね。それで「神社編」、「どんと祭編」、「裸参り編」に分けてみたのです。それも一気に載せるとお互いの関連や印象が薄れるので、それぞれ前編後篇に分けて紹介した次第です。 さて、最後に残ったのが「おまけ編」。大した内容ではありませんが、神社の周囲で気になったものを撮りました。気楽に楽しんでいただけたら幸いです。 モクリコクリの碑 おまけの最初は「モクリコクリの碑」です。これは大崎八幡宮の近辺のお寺の境内にある、鎌倉時代の「板碑」(いたび)と呼ばれるものです。大抵は死者の霊を弔うもので、てっぺんに梵字(ぼんじ:サンスクリット語)が刻まれています。長い年月で石碑の文字が不明瞭ですね。真っ黒な写真では何が何だか分からないと思います。そのために説明板を載せておきます。 説明板1 説明板2 この石碑は鎌倉時代に蒙古軍が襲来した時、防戦のため東北地方から九州に向かい犠牲になった武士の慰霊碑で、両親が建てたようです。「元寇」は鎌倉時代に2度ありました。「モクリ」とは蒙古軍、つまり元の軍隊。「コクリ」とは高麗軍。元寇は中国の国家である「元」と、これに従う朝鮮の国家「高麗」が合流して、我が国を襲ったのです。 結果は皆さんがご存知の通り。突然季節風が吹き荒れて、敵の艦船が玄界灘に沈んでしまいました。これがいわゆる「神風」の奇跡です。2度の戦いで九州を奪われることはありませんでしたが、対馬と壱岐は合同軍に蹂躙され、多くの死傷者を出したようです。中国と韓国は過去の戦争に関して日本をなじっていますが、彼らの祖先はこんな戦争を起こしていたのです。 「おまけ」の2番目はタコです。八幡宮の境内にはたくさんの出店が並んでいました。だが被写体はほかにたくさんあったため、唯一撮ったのがタコ焼き屋さんの店頭に並んでいた「茹でダコ」でした。こんな立派なタコが入ったタコ焼きは、さぞ美味しかったのでしょうが、残念ながら写真を撮るのに夢中の私は、その間何も口にしてなかったのでした。 「おまけ」の3番目は、どんと祭の衣装です。何と八幡宮の近くの雑貨屋さんで、写真の案内を見つけました。裸参りの道具一式をここで売っていたのですねえ。足袋(たび)、草鞋(わらじ)、「さらし」、「含み紙」などはもちろん買うのでしょうが、白装束はひょっとしたらレンタルかも知れませんね。 こちらが売っていた草鞋(わらじ)です。案外安い料金でした。 こちらが白装束を着たモデルのマネキン人形。子供姿でしたが可愛らしいですね。隣には裸参りの大人のマネキンが立っています。会社の名前が入った提灯は、この店で注文するのでしょうか。 おまけの最後は季節外れのイルミネーションです。バス停まで歩いて帰る途中の病院の中庭にありました。ここは私が2年前に不整脈の手術を受けた病院なのです。3月には術後2年目の定期検診を受けることになっていますが、お陰様で心臓の調子は良いですね。結局この日は午前中に11km走り、午後は11km歩いたことになります。結構運動した一日でした。<完> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|