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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.01.26
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カテゴリ:文化論
≪ 昔の田舎の暮らし ≫

 1月15日に訪れた仙台市歴史民俗資料館の展示を紹介しています。今日は主に、第2次世界大戦前(昭和初期)の農村の様子を紹介します。80年ほど前のものですが、今ではもう滅多に見ることの出来ない風景です。


暮らし1漁業.jpg


 ここは現在の仙台市若林区荒浜です。半農半漁の集落ですが、3年前の東日本大震災の津波により壊滅的な被害を受けました。これは80年前の出漁風景です。エンジンも付いてない舟で、沖に出ようとしています。



暮らし6百姓.jpg


 蓑(みの)を着た農家の方です。背中にわらを背負い、手には鎌を持っています。



暮らし5竹籠.jpg


 竹で編んだ籠(かご)です。


暮らし5-2籠.jpg


 こちらは植物の繊維で編んだ籠です。


暮らし4イジコ.jpg


 仙台の近郊では「いじこ」と呼ばれていたようです。わらを編んだ入れ物ですが、ここに赤ちゃんを入れます。育児の手を惜しんで、労働に従事するための工夫で、他県では「いずめこ」などと呼ばれています。



暮らし3ド.jpg


 これは仙台地方では「ど」と呼ばれるもので、田圃に棲むドジョウを捕まえる仕掛けです。中に潰したタニシなどを入れて、田圃や水路に一晩放置しておくと、中にドジョウが入り込みます。ドジョウは当時の農家にとって、とても貴重な蛋白源でした。



住5肥樽.jpg


 これは大小便を入れた樽を運ぶ馬車です。戦後の仙台でも良く見かけました。かつて化学肥料のない時代は、人糞を発酵させて作った「肥やし」が一般的でした。農家は町へ肥やしをもらいに行き、そのお礼に野菜を届けていました。トイレが「汲み取り式」だから出来たのです。

 ただし、肥やしの欠点は、寄生虫病を蔓延させたことです。野菜には寄生虫の卵が付着し、生で食べると体内で寄生虫が成長し、栄養を奪ったのです。小学校で「虫下し」の薬が配布されたのを今でも良く覚えています。



食0囲炉裏.jpg


 これは囲炉裏です。農家だけでなく、地方の家にはどこにでもありました。これが唯一の暖房装置で、簡単な煮炊きが出来るよう「自在鉤」が下がっています。



食1干し魚.jpg


 干して焼いたカレイです。囲炉裏の周辺にはこのような魚が吊るしてあり、急な来客があった時などにもてなしたのです。


食2焼魚.jpg


 こちらも焼き魚です。自在鉤に巻き付けたわら束に、串に刺した焼き魚が刺されていました。こうすると囲炉裏から上がる煙で、長持ちするのです。焼き魚は当時の農家の保存食でした。



衣1作業着.jpg


 作業着ですが、これは新品のようです。普段は継ぎ当てされた粗末な作業着を着ていました。



衣2糸車.jpg


 こちらは糸車です。農家の女性はこれで糸を紡いでいました。


衣3綿.jpg


 これは収穫された綿です。衣服の材料になりました。


衣4麻.jpg


 こちらは麻です。ロープや籠を編む際の材料になりました。



衣5蓑スゲ.jpg


 スゲで編んだ蓑(みの)です。手触りがとてもしなやかです。降雨時の作業の時に着用します。


衣7蓑ワラ.jpg


 わらで編んだ蓑です。わらは農家では簡単に手に入る材料で、一般的です。



衣6蓑シナ.jpg


 科(シナ)の中皮で編んだ蓑です。科の樹は長野県に良く生えているようで、科野(しなの)がやがて「信濃」へと変化したのです。私は科を見たのは今回が初めてでしたが、経木(きょうぎ;木を薄く削って作った包装用の板)のような手触りでした。



衣8布製背負子.jpg


 布製の背当てです。背負子を直接背中に背負うと痛いので、余った布切れでクッションを作ったのです。これは新品ですが、「本物」はボロボロの寄せ集めの布だったのでしょうね。明日は「町の暮らし」をお届します。どうぞお楽しみに~♪ダブルハートバイバイ 










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Last updated  2014.01.26 05:31:20
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