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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.02.01
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カテゴリ:生活雑記
≪ 祈り ≫

 今日から2月です。全く早いですね。さて先日の日曜日、デジカメを持って走りに行きました。そうしたら、目に見えるもの全てに意味があるように思え、次々に写真を撮りたくなりました。今日は走りながら撮った「祈りの風景」を紹介しますね。


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 最初の写真は隣の名取市にある熊野新宮社の遠望です。10kmくらい走った地点にあります。伝説によれば、鎌倉時代この地に住んでいた名取老女と言う婦人が熊野大社の勧請を強く願ったところ、熊野の神が老女の信仰心に打たれこの地に移った由。付近には熊野本宮社、熊野那智神社もあり、那智神社付近の山中にはおびただしい数の鎌倉時代の板碑が残されています。


祈り2.jpg


 空き地にある江戸時代のお墓です。家を建てるのに邪魔になったため、別の場所に移動した先祖の墓みたいです。昔から住まいの直ぐ傍にご先祖様が眠っていたのでしょう。


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 空き地や畑の傍に小さなお堂や祠があります。3つ目のお堂は文殊堂です。知恵の仏、文殊菩薩が安置されているのでしょう。この付近は江戸時代の5つの村(山田、鈎取、富田、富沢、大野田)が一緒になって明治22年(1889年)に置かれた「旧西多賀村」で、今は仙台市太白区の一部です。50年前は純農村だったこの地には、祖先の信仰の跡がたくさん残されています。


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 左側の「庚申」は中国の道教が元ですが、後になってからは民間信仰の「庚申塚」に変わりました。「見ざる、言わざる、聞かざる」のあれがそうです。村境や街道沿いに建てられることが多いようです。右側の「山神」は田の神様です。田の神は春になると山から里へ下りて来て、秋になって収穫が終わると再び山へ帰ります。新年の神である「年神」と同一視されることもあるようです。


祈り12.jpg 祈り13.jpg


 左側の石には「文殊菩薩」と刻まれています。文殊堂の傍にありました。右側の「馬頭観世音」も同じ境内にあります。こちらは元々仏教の仏ですが、字だけが刻まれたものは動物供養のために建てられたものです。亡くなった農耕馬を悼んだのでしょう。


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 左側はお墓の一角に立つ「水子地蔵」です。生まれて直ぐに亡くなった乳児のための供養です。昔は貧乏で堕胎した時代もあったのでしょう。右側は金昌寺の仁王像(右)です。どちらもそれほど古いものではないようです。


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 金昌寺にあったお地蔵さんです。


祈り14.jpg 祈り15.jpg


 どちらも文殊堂の境内にありました。赤い頭巾や「よだれかけ」は今でも信仰している人がいる証ですが、これからもなお信仰され続くのでしょうか。


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 街中に残る小さな祠です。


祈り17.jpg


 こちらはその鳥居ですが、金属製の鳥居が錆ついて神社の名が読めません。後で地図で調べたら「熊野神社」であることが分かりました。一番最初の神社からさらに別れてここへ来たのでしょう。今ではお参りする人は数少ないようで、何だかとても淋しい風景でした。良く探せばこんな風景が見られるこの辺りが、私にはとても好ましく感じます。後何年、こんな風景を見ながら走れるでしょうか。マラソン足跡<続く>



住6便所神.jpg


 最後はいつものように、幸運の便所神です。今日も皆様が幸運でありますように~♪ダブルハートバイバイ





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Last updated  2014.02.01 11:59:51
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