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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.02.22
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テーマ:詩(904)
カテゴリ:
版画11月.jpg



         夜


 星のない夜は
 ひとり異郷の酒を飲む


 泡盛よ
 幾度わたしは涙を流し
 幾度おまえは押し黙ったことか


 泡盛よ
 はるばると波にゆられてやってきた
 異国の米を母として
 何百年もこの島で生きつづけてきた
 黒麹菌を父として おまえは生まれ
 大甕を揺篭にして おまえは育った


 泡盛よ
 おまえは知らないか
 この島から北へ二千km
 秋には樹々が色づき
 冬には雪が降り積もる
 冷涼な大地
 遥かに遠いわたしの故郷を
 父や母は既になく
 たった一人残った兄も
 病に倒れていることを


 泡盛よ
 おまえは知らないか
 故郷を離れて二十年
 さまざまな土地を巡り
 さまざまな人と出会ってきた
 わたしの旅がいつまで続くのかを


 ヤモリは今夜も闇に鳴き
 風にブーゲンビレアの小枝は揺れる


 眠れない夜は
 ひとり異郷に酒を飲む


                       1991.6.13 第一詩集『南島風景』から



                      家1ダチビン.jpg 

                                        ダチビン


 沖縄への赴任後すぐに私はウチナンチュの気持ちが分かった。長い抑圧の歴史を持つ人々の心には、鬱屈した想いがあったのだ。私が赴任した年は本土復帰後14年目だったが、ウチナンチュは内地から来た男がどんな人間か、じっと観察していたのだろう。私が沖縄の心情をすぐに理解出来たのは、やはり長い差別や抑圧の歴史を持つ東北人だったため。

 私の悩みの対象は関西から来た上司と同僚だった。彼らは仕事は抜群に出来たが、沖縄の歴史や文化を理解せず、むしろ馬鹿にしていた。そして連日のように私は苛められていた。同僚は1年後に転勤し、上司も2年後に転勤する。そこは私の4番目の職場だった。彼に叱責された後輩が、やがて自ら命を断つのだが、私はこの時沖縄の歴史や文化を学び、詩を書き、ウチナンチュと泡盛を飲むことで、何とか心のバランスを保っていたのだ。神様は死の代わりに「詩」をくれた。私は今でもそう信じている。<不定期に続く>


スマイル ダチビンは琉球王朝時代から伝わる「水筒」。これに水を入れ、腰にぶら下げて労働の合間に水を飲んだ。現代のダチビンは芸術作品だが、本来は実用品で絵柄もない粗末な造りだったと思う。腰に着け易いよう、内側が湾曲している。





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Last updated  2014.02.22 10:05:23
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