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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.03.10
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カテゴリ:
川平宮鳥御嶽3.jpg



      聖空間


 隆起珊瑚礁の島では
 あらゆる所に神が棲むという


 小高い嶺の一つ一つに
 太古から口を開けている
 洞窟の暗がりに
 気根の絡み合った
 ガジュマルの根元に


 そして
 聖なる信号(シグナル)は
 切り立った石灰岩の頂から
 果てのない宇宙(おおぞら)に向けて
 鍾乳洞の奥底から
 黄泉(よみ)の国に向けて
 亜熱帯樹林の梢から
 神仙境(ニライカナイ)に向けて
 青白い光を放ちながら 次々に発信される


 モリは 盛り上がったところ
 ヤマは 樹々の生い茂ったところ


 形を借りたために
 今では
 言葉が意味を喪失ったように
 視えるものが
 あまりにも多すぎたために
 人は
 目に視えぬものの存在を忘失れてしまった


 城(ぐすく)よ
 御嶽(うたき)よ
 朽ちかけた無数の拝所(うがんじゅ)よ
 人々の生と死を
 厭(あ)きもせずに受容し続けてきた聖空間よ


 家々の配列に約束があった頃
 神は 確かに背後にいて
 人々の暮らしを護ってきたのだが
 訪れる人もない今では
 井泉(かー)のほとりで
 イモリやサワガニやアフリカマイマイが
 聖空間を守っている

                    1991.5.29 第一詩集『南島風景』から



                        斎場.jpg


 第一琉球王朝の王府があった浦添城の裏山に登った時、1人の老婆が遥か彼方の東シナ海に向かって祈っていた。その姿はまさに荘厳そのものだった。この付近には、第一琉球王朝の風葬墓である「浦添ようどれ」がある。また沖縄本島最北端の辺戸岬の断崖にある阿須森御嶽(あすもりうたき)に登った時、頂上には「ここは宇宙の神々と交信する神聖な場所です。汚さないでください」と書かれた標識があった。そこはアマミキヨとシネリキヨの夫婦神が、沖縄に最初に立ち寄った聖地と伝えられている。

 沖縄で暮らし始めた時、新聞配達所から1冊の本をもらった。「沖縄万能地図」がそれだ。この地図は当時の市町村毎のとても詳しい地図が載っており、その地図には城(ぐすく)、御嶽(うたき)などの場所が記されていた。城は日本の城と共通するものもあるが、中には祈りの場であり、墓である場合もある。そしてたまに風葬墓を秘めていることもある。それらはあまり人が近づかず、猛毒のハブが好んで生息する場所でもある。

 私はハブを避けるため長靴を履き、杖で草を払いながら、それらの聖地を原付に乗って訪ねた。城や御嶽、拝所は40か所は下らないだろう。そこは観光客が決して行かない場所だ。沖縄には原始神道の姿が、今でも色濃く残っている。また使われている言葉の中には、日本の古語が変化したものも多い。つまり沖縄には、日本が失ってしまった原型が残されているのだ。この詩はそのことを詠ったもの。少しは沖縄の真髄と神秘とを感じてもらえただろうか。

カメラ 上の写真は石垣島川平集落の外れにある宮鳥御嶽。外来の人間は無断で立ち入ることを禁じられているが、私は祈りの後で入らせていただいた。下の写真は斎場御嶽(せーふぁうたき)で、沖縄本島知念半島の東端にあり、巨岩の三角形の隙間の先には、昨日の詩に出て来た久高島を遥拝する「通し御嶽」がある。ここは第二琉球王朝最高位にある祝女(のろ)、聞得大君(きこえおおきみ)が王に代わって祭礼を行った、沖縄最大の聖地で「世界文化遺産」に指定されている。マル秘きらきら<不定期に続く>





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Last updated  2014.03.10 06:10:08
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