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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.03.11
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カテゴリ:東日本大震災
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 3年前の今日、「東日本大震災」が起きた。あの日のことを忘れることは、決してないだろう。私が死ぬその日まで。あの日のことを、どう書けば良いのだろうか。思い出したくもなく、書きたくもないあの日のことを。そして未だに苦しみ続けている人々がたくさんいることを。



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 震度7強。マグニチュード9.0。これまで観測した地震の中で、世界で4番目に強い地震。あの強い揺れで、家が壊れると思った恐怖の時間はとても長かった。5分間は続いたと自分は感じたのだが、実際はどうか分からない。日本海溝地下の岩盤が、幅200km、長さ500kmの範囲で、3回連続で破壊された大地震。道理で長く感じたはずだ。電線が波のように揺れ、地下から水が噴き出し、妻とは連絡が取れなくなり、私も夕方からの仕事へ行ける状態ではなかった。

 それから停電が4日、断水が1週間、ガスの供給停止が35日間続き、その間は風呂にも入れなかった。近所の温泉で3時間立ってチケットを入手し2回温泉に入ったが、洗い場で隣の人がガタガタと震えていた。宮城県内で最大の死者を出した石巻で津波に遭い、命からがら逃げて来たその人は、当時のことを思うと今でも怖いと声を震わせていた。50を過ぎた大の男が、仙台へ避難した後もまだ津波の恐怖と戦っていたのだ。

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 この未曽有の地震で起きた津波は、最高40.1m(大船渡湾)に達したようだ。死者と行方不明者の合計は18520人。うち行方不明者は2655人。宮城県内でまだ見つかっていない人は1800人以上もいる。死者と行方不明者の9割が、津波による被害者だ。現在まだ避難生活を続けている方は26万人以上。死体がありながら、誰かが分からない方も多い。なぜなら死体は遠くの県まで流れ、そこで発見されるケースもあるためだ。


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 あれだけの大被害が起きながら整然と行動した日本人を、世界は驚きの目で見つめた。だが、被災地でも多くの犯罪は起きた。死体の指を切って指輪を強奪したり、照明が乏しい避難所の闇に隠れて、屋外トイレに出た女性をレイプする事件。それは被災地の犯罪者ではないと思う。なぜなら誰もそんな余裕はなかったはず。他県や恐らくは外国人の犯罪者だと思う。空には救助ヘリコプターが飛び、地上では連日パトカーが走った。それらはほとんどが他県から派遣されたものだった。


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 東京電力福島第二原発の被害が酷い。メルトダウン(炉心溶解)で、多くの人々が故郷を失った。なぜ海岸にありながら、建設時に10mも土を削ってわざわざ掘り下げたのか。なぜスリーマイル島の全電源喪失による事故の教訓を知りながら、対応しなかったのか。なぜアメリカなどの原発事故経験者による国際調査団の受け入れを拒んだのか。そう考えると、あの事故は利益追求を最大の目標とする企業の奢りが出た人災でしかないことに気づく。


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 大震災後の復興が進んでいない。資材や人材の不足、法の未整備、自治体の対応の遅れ、再建に関する住民との合意形成の遅れなど理由は色々あるだろう。長引く仮設住宅暮らしで意欲を失った避難民。職を失い生活資金が尽きた避難民。荒んだ気持ちが起こす家庭内暴力。精神科医が鬱病に罹るほど、被災地の人々の心も病んだ。そして我が子や家族を津波で失った遺族が法的な賠償を求めて訴訟を起こすケースが、既に起きている。私の不整脈もあの大震災をきっかけにして生じた。



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 あの大地震をきっかけにして、私は3人のブログ友と決別した。1人は「あの大地震は関東周辺のことと認識している」と私のブログに書いて来た京都の人。結局は何も分かってないのだ。話にもならない。「生のホヤが食べたい」と書き続けていた大阪の人。ホヤは99%以上が三陸海岸でしか獲れない海産物。養殖がほとんどだが食べられるまでには3年かかる。だが養殖棚はほとんど流され、海中には遺体があることに全く気づいていないのだ。

 「津波は40m以上に達したのだから、それ以上高い避難ビルを数多く建てる必要がある」と書き込んだ奈良の人。40m以上の津波が襲ったのはリアス式海岸の部分で、平野部は違うといくら言っても分からなかった。自分では学会賞を幾つももらった科学者だと言っていたが、基礎的な知識のない科学者が本当にいるのだろうか。平野部では海岸から5km離れた標高6mの土手に登って助かった人も多いのだ。3人とも関西の人なのは、きっと偶然なのだろうが。


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 予想される「南海トラフ大地震」の推定最大死者数は32万3千人に達するらしい。これは人ごとではない。普段から避難路を確保しておくことが大切だ。仙台平野には「波分神社」と言う小さな神社があるようだ。ここはかつての大津波が押し寄せた場所。「末の松山 波越さじとは」と万葉集で詠われた歌枕、多賀城市の「末の松山」もかつて大津波が押し寄せた場所らしい。遠い祖先達が遺した教訓を、もう一度見直してみるのも大切なことだと思う。

 『天災は忘れた頃にやって来る』。最後に科学者であり文筆家でもあった寺田寅彦の有名な言葉を記しておこう。あの大震災後、潜水夫の資格を取った人がいる。あの日以来行方不明の妻の遺骸を、何とか海中から探し出そうと言うのが動機らしい。私も妻もそれぞれ1人ずつ、大津波で親戚を亡くした。

 私は来週病院へ行く予定。不整脈の出術後まる2年になるが、その定期検診のためだ。今も時々胸苦しい日があるが、あの大震災以降未だ心の傷が癒えない数多くの人がいるのが現実だ。





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Last updated  2014.03.11 08:12:51
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