テーマ:マラソンに挑戦(5678)
カテゴリ:東日本大震災
≪ 鎮魂の象徴 ≫
日和山の頂上に、潮風に焼けた神社の名を記した御幣形の標識がある。 その横の説明板。ここに閖上(ゆりあげ)の名の興りと湊神社の関係が記してある。「閖」の字を分解すると、「水」と「門」になる。「水門」と書いて「みなと」。これは日本の古い言葉で、川の河口のこと。これがやがて港に転じる。つまり古い時代、河口は天然の良港だった訳だ。ここから名取川を遡ると、奈良時代の政庁である「郡山官衙」(こおりやまかんが)があった。古代は陸路と共に水路が利用された。陸奥の蝦夷も北上川を遡って討伐されたのだ。 日和山への石段。この手すりは、大震災後に他県の方々の寄進で増設されたもの。 かつての社殿は津波で流され、影も形もない。見晴らしが良い丘の上に、多くの犠牲者を悼む千羽鶴と卒塔婆があった。背景には茫漠たる閖上(ゆりあげ)の市街が広がる。今は動くものが何も見えない死の街だ。 そしてたくさんの花が供えられている。これは地元の方だけでなく、ニュースで閖上(ゆりあげ)の悲劇を知った全国の方々がわざわざここを訪れ、犠牲者の冥福を祈って供えて下さったものも多いようだ。 これは「ゆりあげ桜」。鎮魂のための記念植樹だ。白っぽい花が風に揺れている。華やかさはないが、犠牲者を悼むのに相応しい色あいだ。 これが生き残った神社の松。2011年3月11日。あの日の惨状を見届けた生き証人だ。 見渡す限り荒れ地が広がる閖上の市街地。かつてここは賑やかな港町で、海岸には水産業の工場が建っていた。またベッドタウンとして、ここから仙台へ通勤する人も多かった。だがあの日以来、ここには何も無くなった。家並みや人々の暮らし。笑顔とざわめきなど一切が、わずか1日で失われてしまったのだ。ただずっと遠くに大破した消防署、子供の姿が全く見えない小学校や中学校、荒れ放題のお寺などが微かに見える。妻はただただ驚くばかりで声もない。 生き残った松をバックにして記念撮影し、階段を降りる。 階段下に、街の名が入った花壇があった。全滅した街閖上。復興には程遠い現状だが、このままいつまでも放置してはおけない。きっとこの花は希望につながり、閖上の未来につながると信じたい。決して復興への願いを捨ててはいけないのだ。<続く> ≪ 4月のラン&ウォーク ≫ ラン回数:6回 ラン距離81km ウォーク距離:97km 月間合計:178日 運動しなかった日:5日 年間合計:756km うちラン:503km これまでの累計:84437km 4月は体調が悪く、ほとんど思うように走れない日が続いた。だからこの「被災地探訪ラン」が出来たのは執念の結果で、私にとってはまさに奇跡的なことだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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