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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.05.02
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カテゴリ:東日本大震災
≪ 復興に向かって ≫


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 日和山の前に椅子が見えた。そうだ、あそこに座って休もう。妻と2人プレハブの前へと歩く。窓に何か張ってある。「震災復興支援受付」。どうやらこれは仮設の社務所のようだ。それも他県の方から寄贈されたプレハブみたい。全滅した閖上(ゆりあげ)の悲劇をニュースで知って、ここを訪れた方も多いのだろう。目前に広がる廃墟を眺めながら、私達はゆっくりお握りを食べた。



復興4絵馬.jpg



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復興7絵馬.jpg



 何かぶら下がっているものがある。近づくと絵馬だった。鎮魂のためにわざわざここまで訪れた他県の方が、閖上の復興を願って書いてくれた激励の言葉が胸に迫る。中には埼玉県や静岡県から来られた方も。ありがとうございます、皆さん。遠くからこの地を訪ねて下さって。そして暖かい言葉を寄せて下さって。私達は再び走り出した。朝市が開かれる海の傍へと向かって。



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 「がんばろう名取」。「東北復興支援販売店」。「復興へ頑張ろう みやぎ」。力強いメッセージが無人の街の所々に見られる。荒廃したこの土地にもいつか街並みが戻り、人々の笑顔が溢れる日が来るのだろうか。



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          被害15岸壁.jpg


 海沿いを走る。この辺りにはかつて魚の市場や水産加工業の建物が並んでいたのだが、全て津波で流されてしまったようだ。仮住まいの「日曜朝市」を眺めつつ、左折して橋を渡る。ふと橋の欄干を見ると、途中から折れて倒れている。津波の痕跡がここにもあった。その時、妻が大声を上げた。橋の上でキョロキョロしながら走っていて、転んだようだ。顔には擦り傷。眼鏡のフレームが歪んでしまったようだ。



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 右手前方にまばらな松並木。かつてそこには「名取市サイクルスポーツセンター」の建物とサイクリングコースがあった。マラソン大会も開催され、私も3回参加した。その建物が消え、白い土手が見える。ここ閖上の海岸部には、震災後瓦礫を処理する施設が何箇所もあった。燃えるものは燃やし、処理し切れない瓦礫は他県に運ばれたはず。コンクリートは細かく砕かれ、海岸部を守る堤防として再利用されると聞いた。きっとあの白い土手がそうなのだろう。



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 ここまで9kmを走った計算。今来た道を引き返す。岸壁に巨大なクレーンが見える。広い閖上(ゆりあげ)の海岸に人影はまったく見えず、何台かのクレーンが手持ち無沙汰のように突っ立っている。



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 県道10号線に向かう途中、荒野に「黄色い土手」が見えた。どうやら「土のう」を積んであるようだ。何のためなのかは分からない。まさか津波に備えたわけではないと思うのだが。



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 破壊されたままの階段。かつては嬉々として登り、玄関に入ったのだろう。その我が家は跡形もなく、壊れた階段だけが朝日を浴びている。



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 これは「前方後円墳」ではなく、名取市が閖上(ゆりあげ)の住民のために提示した「再建モデル」。つまり、新居住区はこの高さにまで土を盛るので、安心して住んで欲しいと促した訳だ。だが、家族と財産を全て失った旧住民の恐怖感は拭えない。

 震災時に防災放送が全く機能せず多数の犠牲者が出たことも、住民の不信感を煽ったのだろう。もう少し内陸部への移動を願った旧住民に対して、水産業の復活を重視した市は、これまでの居住区に近い地域に移動先を設定した。それらが復興を遅らせた要因だと思う。



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 閖上大橋を渡って対岸の仙台市内へと入る。震災前は閖上行きのバスが数多く運行されていたのだが、今は誰も住む人のいない地区へバスは走っていない。妻はそろそろ限界なのだが、仙台市内のバス停へ向かうしかない。

 藤塚地区には全く家が見当たらない。全て津波で流されてしまったのだろう。県道10号線を北上して井土浜地区へ向かおうとしたが、この道は大型のダンプカーが唸りを上げて走っていて危険。名取川の堤防を西へと向かった。



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 対岸に「あんどん松」が見える。遠くの蔵王連峰や泉ヶ岳は春霞のために見えない。時々キジやウグイスの声が聞こえる。疲れたら歩き、そしてまたゆっくり走り出す。妻は女子高生にバス停の場所を尋ねた。前方に今泉の清掃工場。だが、停留所はどこにも見当たらない。堤防から適当な道へ降り、集落へと向かった。10分ほど走った住宅地でバス停は見つかった。

 ここは初めて来た集落。50年前までは見渡す限りの田圃だった所が、今は立派な住宅地に変身している。10分ほど待つとバスが来た。リュックは妻に渡し、私はポシェットだけの身軽な姿になった。車中から手を振る妻の姿を見届け、ゆっくりと走り出す。再び名取川の堤防へ出、そこから広瀬川に沿って帰る。



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 遥か彼方には春霞の中の太白山。我家はあの麓に近い。結局この日走った距離は、妻は13kmほどで、私は24kmほど。家に着いたら妻の姿はなかった。彼女は途中で買い物をして来たようだ。私と一緒に走った被災地探訪ランは、彼女にとっても良い記念になったみたい。次は東日本大震災で最大の死者を出した石巻市を訪れる予定でいる。私達夫婦のささやかな慰問が、出来れば復興につながることを祈りつつ。<完>





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Last updated  2014.05.02 06:04:38
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