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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.06.19
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カテゴリ:旅、温泉
松島27.jpg

 5月31日。「第10回みちのくラン」で私達は仙台市内を走り終えた後電車で移動して塩竃神社に参拝し、塩竃観光港から遊覧船に乗った。それもマラニックのコースに含まれていたからだ。行き先は松島。ちょうど1時間の船旅であった。私達は次々に現れる島々の姿を楽しんだのである。


                 塩釜7芭蕉.jpg

 実は今から325年も前に、これと同じ風景を芭蕉と曽良も観ている。彼らが旅したのは元禄2年(1689年)の旧暦5月9日。新暦だと6月27日に当たるこの日、2人は塩竃から小舟に乗って松島を訪れている。当時の松島近辺は陸路が十分整備されておらず、海路を辿るのが一般的だったようだ。この旅の様子を記したのがあの有名な「奥の細道」である。


松島28.jpg

 世間に良く知られているのが、芭蕉の逸話。天下の名勝である松島を観た芭蕉は、あまりの素晴らしさに句を作れず、「松島や ああ松島や 松島や」と吟じたと言われている。だがこれは事実とは異なる。この句は江戸末期の狂歌師であった田原坊の「松島や さて松島や 松島や」が下敷きになっていて、これを芭蕉が感嘆して「ああ」と詠んだと伝わったのが「事実」として広まったのだ。


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 何故そのようなことになったのか。理由の一つは「奥の細道」自体にある。何とその中には松島で詠んだ句が一つも書かれていないのである。では、芭蕉は本当に松島で句が作れなかったのだろうか。いや、そんなことはない。弟子の曽良(そら)の日記には、芭蕉が松島で詠んだ四つの句が記されている。「ああ松島や」が載ってないのは勿論だ。


松島32.jpg

 その中の一つが次の句である。


     島々や 千々(ちぢ)にくだけて 夏の海

                          陰暦五月は既に夏であった。


          松島30.jpg

 私達の船の旅は1時間だったが、芭蕉と曽良はどれくらい舟の旅を楽しんだのだろう。松島湾の水深は10m以下。さほど危険な旅ではなかっただろう。


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 ある小島に海鳥が群がっていた。デジカメの望遠機能を使うと、どうやらその島には海鳥達の巣があり、子育てをしてるように見えた。実は観光船からの海鳥への餌付けは今年から禁止されている。餌付けが海鳥の繁殖を助け、彼らの落とす大量の糞が、松枯れの一つの原因になると考えたためだ。


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 遠くを行くのは観光船。松島湾内には幾つかの遊覧コースがあり、様々な景色を楽しめる。中には奥松島の外洋から男性的な断崖絶壁を楽しむコースもある。


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 遠浅の海では「ハゼ釣り」が盛んであった。昔は釣ったハゼを焼いて干し、お正月のお雑煮の出汁にしたのである。私も若い頃船に乗ってハゼ釣りをしたことがある。餌は確かアサリの身だったと記憶しているのだが。


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 遥か遠くには練習中のヨットも見えた。この日は波風のない、穏やかな日であった。


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 前方に福浦島へ渡る赤い橋が見えて来た。もうそろそろ下船の時間だ。


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 波の浸食で削られたこの小島は、陸地と小さな橋で結ばれている。松に隠れて良く見えないが、ここには国の重要文化財である「五大堂」がある。堂の中に「五大明王」が祀られているのが名の興り。遠い古代、都から陸奥の蝦夷を征伐にやって来た将軍坂上田村麻呂が、戦勝を祈願してここに戦の神である毘沙門堂を建てたのが始めと伝わっている。


松島38.jpg

 松島上陸後、私達は5つのコースに分かれて楽しんだ。1つは「西行戻しの松」方面へのマラニック。これはまだ走り足らないランナーへの配慮。2つ目が五大堂、福浦島方面の散策。3つ目が瑞巌寺境内の散策。4つ目が自由行動で、5つ目がホテルへの直行。懇親会へ出ない私は迷わずホテルへの直行を選んだ。荷物は既にホテルに届いており、これから風呂に入って汗を流すのだ。


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 この景色はホテルの露天風呂から眺めたもの。眼下に天下の名勝である松島を観ながら入る露天風呂は最高だ。もちろんここも天然の温泉。まさに極楽であった。私は走って草臥れた両脚を、お湯の中でゆっくり擦った。


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 風呂から上がり、着替えを済ませた私は仲間と別れ、一人帰路に着いた。だが、駅に向かう途中に寄ったのがこの島だった。島の名は雄島(おしま)。この島はとても小さいながら、古い歴史を秘めている。


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 島からは、松島の湾に係留されたたくさんの船が見えた。


松島42.jpg

 松の合間から光って見える海面。この後私はこの島で静寂な一時を心行くまで楽しんだのである。その模様は改めて紹介することにし、塩竃から松島への船旅の話はひとまずこれで終えたい。<完>





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Last updated  2014.06.19 07:20:09
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