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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.07.08
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カテゴリ:人生論
花2.jpg

 7月のある朝、私は郵便受けを開けた。雨で少し濡れた新聞の下に、2通の封書をみつけた。1通は妻宛てで、もう1通は私宛て。濡れて切手が剥がれたその封書の裏側の住所と差出人の名前を見て、私は何が起きたのか瞬時に察した。知らない女性の名前だが、住所と姓は分かる。Nさんの身に、一体何が起きたのだろう。

 自室に戻って封書を開けると、中に1枚の紙片が入っていた。上段に奥様の挨拶文。何とNさんは今年の5月に亡くなっていたのだ。ようやく49日の法要を終え、亡きNさんの希望により、生前お世話になった方にNさんが用意した挨拶文を送った由。下段にはNさんが書いたお別れの文章が記されていた。以下にその全文を紹介したい。


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 私Nは、ガンという不治の病によりまして亨年69歳をもって人生を終えることになりました。
 ここに、生前、あなた様からお受けいたしました数々のご厚情に対しまして衷心より幾重にも厚く御礼申し上げます。
 長年にわたるご厚情は、私の生きる喜びでした。
 それは「宝」でもあり、「見えざる財産」の一部でもありました。


夏椿1.jpg

 悠久なるあの世の楽しみのために、生前好んだ本やテニスボール、日記等の一部を持参いたします。
 先に旅立った黄泉の国の方々と堅い契りを交わし、再びまみえた喜びをゆっくり分かち合いたいと思っています。
 在世中は本当にお世話になりました。心からの感謝を捧げます。


             クチナシ.jpg

 この挨拶文を、果たしてNさんはどんな気持ちで準備していたのだろう。まだ40代前半の頃、私は四国の小さな都市で新しい大学の図書館を作っていた。そこへ九州の小さな都市の新しい大学に勤めていた彼が、見学に来たのだった。彼はある有名大学の秘書係長をしたことがあると話していた。そのまま行けばエリートコースで、大学内ではかなり偉くなっただろう。だが彼はその後、故郷に出来た新しい大学での勤務を選んだ。

 私はその後、彼の勤務先を訪ねたことがあった。それ以来26年ほど年賀状のやり取りが続いていた。本が好きな彼は市内の古本屋から古本を買って読み、自宅には2千冊以上の本が集まり、書庫を新設したと聞いた。彼はシニアテニスの県チャンピオンでもあった。つまり文武両道だ。自慢の子息は2人とも国立大学に入り、1人は医学部卒、もう1人は工学部卒で、共に研究者の道に進んだと聞いた。


ユリ.jpg

 私はそれから転勤族となって全国を異動し、彼はそのまま地方の小さな大学に勤め、最後は慣れない分野の仕事に携わったようだ。人生でたった2回しか会ったことのない彼が、その後も熱心に手紙をくれ、時には私のブログにコメントをくれたこともあった。結局お互いにあまり偉くはならなかった。その原因はゴマ擦りが下手なこと。自分を誤魔化してまで相手に頭を下げるのが嫌いだったのだ。


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 男らしくて誠実そのものだったNさん。一緒に仕事をしたことはなかったけど、あなたと知り合えて本当に嬉しかったよ。素晴らしい奥様や息子さんに恵まれて良かったね、Nさん。そのうちに私もそっちへ行くので、その時はまたお話をしましょう。それまでNさん、ゆっくりと休んでくださいね。では、ひとまずさようなら。そちらの世界でも、どうぞお元気で~。ダブルハートバイバイ





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Last updated  2014.07.08 05:06:11
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