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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.07.09
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                日本発掘.jpg

 6月下旬のある日、私は妻と一緒に多賀城市にあるアヤメ園へ行きました。その日は花ショウブを見るだけでなく、東北歴史博物館で開催中の特別展『日本発掘』~発掘された日本列島2014~を観ることも目的の一つでした。考古学ファンにとって、地元にいながら全国の遺物を観られるなんて滅多にないチャンスですからね。

 幸いにもこの展示は撮影を許されていたため、私はメモを記しながら展示物を撮っていたのです。掲載はほぼ展示順ですが、枚数の関係で一部入れ替えています。では早速紹介しますね。歴史や考古学が苦手な方も、写真を観るだけでも楽しめますよ。ダブルハートスマイル


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 北海道赤石山遺跡出土の黒曜石 旧石器時代(1万5千年前)
 ガラス質に近い黒曜石(こくようせき)は矢じりやナイフの材料として貴重な存在でした。北海道赤石山は国内でも有数の黒曜石の産地で、しかも質が良いことで知られています。ここの黒曜石は青森県の三内丸山遺跡でも使用されています。きっと丸木舟を漕いで津軽海峡を渡ったのでしょうね。


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 青森県三内丸山遺跡出土の縄文土器 縄文前期(5500年前)
 三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の遺跡で、数千年に亘って村落が継続されています。最大の人口は500人と言われ、当時としては大きな町でした。漁労、狩猟の他、集落の近くでクリやエゴマなどを栽培したことも分かっています。立派な縄文土器ですが、実用的なものも多かったようです。私は2度この遺跡を訪れていますが、園内は無料で見学することが出来ます。


展示3.jpg

 三内丸山遺跡出土の土偶 同上
 三内丸山遺跡からは大量の土偶が出土しており、江戸時代から周囲の人々は周知していたそうです。ほとんどは儀式で用いられバラバラに壊されていますが、無傷のものの中には重要文化財に指定された土偶もあります。同遺跡には大人用の墓が道路に沿って並んでいます。また漆を施した櫛や、「縄文ポシェット」と呼ばれる布袋も出土し、長さ50mほどのロングハウスや高さ20mもの建築物も建てられ、高度の文化があったことが知られています。


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 新潟県野首遺跡出土の火焔式土器 縄文中期(4500年前)
 縄文土器の一種で、火焔が燃え上がっているように見えることから、「火焔式土器」と呼ばれています。実に見事な造りで、縄文人の芸術性と感性の豊かさに驚かされます。私は新潟県立歴史博物館(長岡市)でも実物を観ていますが、立派な展示物が多いことに驚いたものです。


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 新潟県野首遺跡出土の土偶 同上 重要文化財
 同遺跡出土の土偶は無傷で、国の重要文化財に指定されています。縄文人の平均寿命は27歳と言われています。乳幼児の死亡率が高いことが第一の原因ですが、自分達の長命と子孫の繁栄を願って土偶が作られたのでしょうね。


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 同遺跡出土の土面 同上 重要文化財
 これは土面と言われるものです。恐らくは宗教的な儀式に用いられていたと思われます。この白い顔をしたのは死者でしょうか。それとも神と意思を通じ合う巫女のような存在かな?神々しい表情を浮かべるこの面は、国の重要文化財に指定されています。


展示8.jpg

 大阪府高槻市今城塚古墳出土の家型埴輪 古墳時代(1500年前)
 大阪府高槻市にある今城塚古墳は被葬者が不明のまま、中世は山城として使われていました。ところがつい最近の発掘調査で、継体天皇陵であることが分かったのです。

 当時は天皇家の血筋が絶え、北陸にいた天皇家にゆかりのある人物が世継ぎとして迎えられたのです。それは「継体」と言う字にも表れています。彼の妻は琵琶湖の交通を制していた息長(おきなが)氏。夫人の実家の援助も大きかったことでしょう。


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 同古墳出土の家型埴輪 同上
 天皇家の遠い血筋と言うだけの人物は、実力派豪族の支持を得られず、30年もの間都に入れなかったと伝えられています。奈良から離れた高槻市に墓陵を造ったのもそのせいでしょう。

 宮内庁が管理する「継体天皇陵」は隣の茨木市にあります。これはもっと小型の整った古墳。今城塚が天皇陵に指定されなかったお陰で、自由に古墳を発掘出来た訳です。これらの家型埴輪は、ひょっとして当時の王宮を模したものではないでしょうか。


展示10.jpg

 同古墳出土の力士型埴輪 同上
 同古墳の付近には「埴輪工場」と呼ばれる、当時の工房跡が残っています。恐らくは継体天皇陵(今城塚古墳)の埴輪を専門に焼くためのものと考えられます。同古墳は周濠を持つ、天皇陵に相応しい造りです。大阪勤務時代に、私は高槻市に住んでおり、この古墳へも何度か訪れています。だから、ここが本当の継体天皇陵だと分かった時は、大変驚きました。相撲は古代から重要な神事で、当時の力士の伝説も幾つか残されています。


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 同古墳出土の太刀型埴輪 同上
 この長い棒は何に見えますか?これはどうやら太刀のようです。力士型埴輪も珍しいですが、この太刀型埴輪の出土も珍しいですね。鉄製の武器は当時は貴重品でした。これを持っているのはやはり権力者だった何よりの証拠ですね。


展示12.jpg

 同古墳出土の鶏型埴輪 同上
 天皇陵に鶏とはビックリですね。恐らく鶏は時を告げる鳥として、神聖なものだったのでしょう。真っ暗な夜が明けて朝になる頃、一番先に大きな声で鳴くのが鶏。これを当時の人々は慶事と感じたのでしょうね。


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 同古墳出土の巫女(みこ)型埴輪 同上
 当時の政治に巫女は欠かせない存在でした。政治は神の託宣に従うことであり、神の意志を伝える巫女は王と同等の立場にあったのです。あの有名な卑弥呼がそうですね。古い時代は祭政一致。祭事(まつりごと)はまさに政治(まつりごと)そのものだったのです。


展示22.jpg

 長崎県対馬市黒島遺跡出土の広形銅矛 弥生中期(2千年前)
 これほど立派な銅矛はあまり見かけませんね。しかも複数の出土です。対馬は朝鮮半島へ向かう途中にあり、古代から日本と半島を繋ぐ重要な役割を果たしていたのです。日本神道の源流の一つがこの島にあると聞きました。古代から天皇家との結びつきが強く、これらの矛も権力の大きさを物語っているようですね。


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 奈良県山田寺跡出土の十二尊連座塼仏(復元) 飛鳥時代(1400年前)
 旧山田寺は「山田大仏」の仏頭で有名ですね。この跡地から土で作った仏像の型が出土しています。これは復元されたものですが、貴重な存在であることは間違いありません。言わば小さな仏像を一度にたくさん造る装置です。それに金メッキを施し、丁重に扱ったのでしょう。当時の人々の仏教に対する熱い想いが伝わる一品です。<続く> 

 





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Last updated  2014.07.09 05:53:31
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