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マックス爺のエッセイ風日記

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2014.07.11
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 東北歴史博物館で開催されている特別展『日本発掘』の紹介も、いよいよ今日が最後になりました。同展では、幸いにも撮影が許可されていました。これは考古学ファンにとっては何よりも嬉しいことです。こうして皆さんにも紹介出来る訳ですからね。では早速展示物を紹介しますね。ダブルハートスマイル


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 奈良県明日香村石神遺跡出土銅製人形 飛鳥時代(1400年前)
 人形(ひとがた)は人間に代わって穢れや病気から逃れるために使用したのが最初です。これが後世は紙で出来た「流し雛」になりました。縄文時代には土偶を壊すことで、人間の厄を祓ったのですが、銅製の人形は珍しく、身分の高い人が用いたと思われます。この人形には、果たしてどのような願いが込められていたのでしょうか。


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 奈良県明日香村石神遺跡出土具注暦木簡(複製品) 同上
 持統天皇3年(689年)の3月と4月の暦です。木簡は普通長い板に、税金や役人の出勤状態などを記録するものですが、円形の暦とは全く珍しいですね。これは第一級の史料で、毎日の吉凶を記し、壁にかけてカレンダーとして用いたようです。上の人形と共に、占いに頼る当時の暮らしぶりが良く分かります。


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 奈良県旧川原寺跡出土塑像破片 飛鳥時代(1400年前)
 川原寺は天智天皇が亡き母のために建立した寺院と言われている古寺です。天智の母とは第35代皇極天皇、第37代斉明天皇として重祚(ちょうそ:1人の人が複数回天皇の位に就くこと)した女帝です。この塑像には亡き母の優しい面影が宿っているように感じます。母を思う気持ちは、庶民でも天皇でも変わりなかったのですね。


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 奈良県旧川原寺跡出土塼仏 飛鳥時代(1400年前)
 塼仏(せんぶつ)は小さな土製の仏像を作る「装置」です。広く仏徳に浴するためのものでしょう。当時の人々の仏教に寄せる期待が感じられる逸品です。


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 上記を拡大したものです。釈迦三尊の柔和な表情が分かるでしょうか。


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 岩手県平泉町柳之御所跡出土墨書かわらけ 平安時代(800年前)重要文化財
 「かわらけ」は素焼きの粗末な杯で、どぶろくなどを飲んだのでしょう。その裏側に漫画風の人物が描かれています。ひょっとして、かわらけの持ち主の顔かも知れません。柳之御所は奥州藤原氏の自宅兼執務所で、この跡から膨大な遺物が出土しています。古代東北にこの世の浄土を築こうとしていた奥州藤原氏。理想に燃える陰に、こんな人間的な一面があったのですね。


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 奈良県明日香村キトラ古墳壁画玄武図 飛鳥時代(1300年前)
 キトラ(亀虎とも書く)古墳は2段式の円墳で、石室内に中国大陸由来の壁画があることで有名です。これはカビの害から保護するため、転写したものです。玄武とは亀の形をした中国の神で、北の星宿の守り神。きっと高貴な被葬者を、死後も守るために描かれたのでしょうね。


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 奈良県明日香村高松塚古墳壁画白虎図 飛鳥時代(1300年前)
 これもキトラ古墳同様壁画をカビの害から保護するため転写したものです。同様に中国の神である白虎を描いています。星宿は西を守る神で、虎の姿をしています。やはり高貴な被葬者を死後も守る役目を果たしたのでしょう。転写とは言え、自分の目で図柄を確認出来たことは幸いでした。このような貴重な史料は、二度と見られるチャンスはないでしょうからね。


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 福岡市博多遺跡群出土緑釉小皿 室町時代(500年前)
 福岡は古代から「那の津」と呼ばれる港町で、貿易で栄えました。この緑釉を施した小皿も、中国から渡来したものでしょうか。波高い玄界灘を渡って中国や南島へと貿易に向かった博多商人の逞しさが思い浮かびます。


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 愛知県瀬戸古窯群跡出土灰釉水差 平安~江戸時代(900~150年前)
 愛知県瀬戸地方は国内でも有数の陶器生産地です。西日本では「唐津もの」と呼ばれますが、東日本では「瀬戸物」が陶器の代名詞。この水差も灰釉を施しただけの地味なものですが、単純な中にも深い味わいがありますね。「お宝鑑定団」に出品したら、果たしてどれくらいの値打ちがあるものなのでしょうね。


 <以下の展示物は、つい最近日本の各地で発掘された遺物です。>

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 埼玉県加須市長竹遺跡出土注口土器 縄文後期(3千年前)
 いわゆる縄文土器の一種です。注ぎ口があるところを見ると、中には液体を入れていたのでしょうね。この時代にはまだ米はありません。もし酒を造るとしたら、材料はサルナシだろうと考える学者がいます。サルナシはキウイの原種となった小さな果物。それをサルが採って木のうろ(窪み)に置いたら自然に発酵して酒になったと言うのが「サル酒」。縄文人はそれを真似して酒を造ったと言うのがその学説なのですが。


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 埼玉県加須市長竹遺跡出土土製イヤリング 縄文後期(3千年前)
 これはクッキーではありません。立派なイヤリングなのです。ひもで耳に縛ったのではなく、耳たぶに大きな穴を開けてこれをはめ込んだようです。今でもアフリカでは同じように使っているところがありますね。平均寿命が30歳以下だった縄文の女性も、このような飾りでおしゃれを楽しんでいたのですね。


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 埼玉県加須市長竹遺跡出土独鈷石 縄文後期(3千年前)
 独鈷(とっこ)とは仏具の名前で、これに良く似た石器にその名をつけたのです。子孫繁栄を願う男性のシンボルとも見えますが、実態は両頭型の石斧(せきふ:いしおの)です。これを木の枝に縛り、木などを切ったのでしょう。当時の人にとっては生活必需品だったのでしょうね。


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 石川県能美市能美古墳群出土器台 古墳時代中期(1600年前)
 器台は前にも出て来ましたが、上に土器を置く台です。床に直接置かず、この上に載せたのは重要な儀式をするために用いたのでしょう。能美古墳群は全部で62基の古墳がある一大古墳群で、方墳、円墳、周濠墓、前方後円墳など様々な形式の古墳が集まる珍しいもので、私は石川勤務時代に偶然訪れたことがあります。

 ここから日本海は見えませんが、目の前には白山の勇姿が望める小高い山の上(一部は平地)にあります。きっと被葬者にとっても、白く輝く白山は聖なる山だったのでしょうね。


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 岩手県山田町畠中遺跡出土人面付き土器 縄文後期(3500年前)
 少し尖がった人面がついた縄文土器。縄文人は何を考えて土器に人面を施したのでしょうね。きっとそこには長命を願う気持ちがあったのは間違いないでしょう。そんな貴重な土器が、東日本大震災の被害にも遭わずに出土したことを、私達東北人は心から喜びたいと思うのです。


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 岩手県陸前高田市堂の前遺跡出土深鉢 縄文中期(4500年前)
 縄文土器の深鉢です。これは食糧を煮炊きしたり、貯蔵するために使ったようです。ろくな道具もない時代に、自分の手だけでこのような土器を作る縄文人は、優れた文化を持っていたことがわかります。当時の東北は豊かな食糧に恵まれ、日本列島で最も人口密度の高かった地域なのです。縄文土器は世界でも有数の土器として知られています。まさに郷土の誉れですね。

 3回に亘ってお送りした『日本発掘』もこれで終了です。長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。ダブルハートバイバイ<完>





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Last updated  2014.07.11 14:44:34
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