テーマ:暮らしを楽しむ(387534)
カテゴリ:考古学・日本古代史
7月のある日。眼科へ行った帰りに「仙台市縄文の森広場」へ寄りました。ここは今から4千年前の縄文時代の住まいの跡である「山田上ノ台遺跡」に建つ、小さな博物館なのです。市の広報に縄文人の食糧だった植物を育てていると書いてあるのを見て、私達の遠い祖先達は一体どんなものを食べていたのか、興味を持ったのでした。 先ずは住まいから。縄文人達が住んでいたのは、このような形をした竪穴式住居です。 この「広場」には、竪穴式住居が3棟復元され、屋根のカヤが腐らないよう毎日のように住居の内側で火を燃やしています。その時出る「煤」(すす)が素材を炭化させ、強く変えるのです。 当時の住居には、このように土が被せてあったと考えられています。このお陰で夏は涼しく、そして冬は暖かく過ごすことが出来たのです。 これは竪穴式住居の骨組みですが、案外丈夫に造られていますね。 縄文人が家を建てる様子を再現したものです。良く見ると床部分が少し掘り下げられて、低くなっています。これは保温などのためですが、この形が「竪穴式住居」と呼ばれる理由です。 当時の服装で、頭と両腕を出すための穴がある衣服です。 これはアオソ(青麻)、苧麻(ちょま)、「からむし」と呼ばれる当時の衣服の原料になった、イラクサ科カラムシ属の多年生植物です。これと同じものを沖縄の宮古島で栽培(現地では「ブー」と呼んでいました。おそらくは「布」が訛ったのでしょう)し、糸を取って布を織っています。100kmマラソンの途中に、植物園で見ました。(笑) 焚火の跡を再現したものです。 発掘した「落とし穴」の写真です。集落の近くに落とし穴を掘り、ウサギなどの小動物を生け捕りにしたのでしょう。 最初の土器は近辺の遺跡で発掘され、後の4点はここの遺跡から発掘された縄文式土器です。それほど立派なものは少ないですが、それだけにより一層、私達の祖先の暮らしぶりが感じられますね。 「石棒」と呼ばれていますが、男性のシンボルを型取り、いろりの傍に置かれて長命と子孫の繁栄を祈ったのでしょう。当時の平均年齢は27歳と言われています。まだ乳幼児の頃に亡くなることが多かったのでしょう。 石製の石鏃(せきぞく=矢じり)です。これを矢の先端に付けて動物を射殺し、食料にしたのです。 石製のナイフです。動物の皮を剥ぐために使用したのでしょう。明日は縄文人の食べ物を紹介します。どうぞお楽しみに~!!<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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