カテゴリ:ブログ
喉仏のすぐ上の辺りが痛い。グリグリが出来て赤くなっている。痒みもあって、まるでダニにでも刺されたような痛み。最近藪に入ったことはないが、近所のワンコに触ったことはある。でも、まさかねえ。夜中に目覚めた時に触ると、グリグリが少し小さくなっていた。ああ良かった。 右足の脹脛も痛い。こちらは寝ている時にあった激烈な「こむら返り」が原因。最近こんなことが起きると、「俺も歳だ」と思ってしまう。きっと体だけでなく、心の老化も進んでいるのだろう。 甲子園での戦いがついに終わった。夏の高校野球決勝は、大阪桐蔭が4対3で三重高校を下した。先行したのは三重。王者桐蔭に怯むことなく立ち向かい、2点を先取。一時は勝利の光も見えたのだが、追い着かれ、追い越された。敗因はスクイズの失敗だろう。あそこで追加点を取っていたら、どう転ぶか分からなかった。だが、予想に反しての善戦。両校とも決勝戦に相応しい、見事な試合運びだった。これで今年の夏も終わったね。 ブログにも出会いと別れがある。1年ほど前のこと、私のブログを「お気に入り」に登録してくれた方があった。早速伺うと、相手は若いランナー。そのブログには、「なぜ楽天ブログはアクセス数が増えないのだろう」と書かれていた。答えは簡単。真面目だが、読んでいてちっとも面白くないのだ。走友会に入って仲間と出会えば人間の幅も、ランナーとしての経験も増えるのになあ。そう思いつつ、静かに退散した。 「詩を教えてください」。そうコメントされて困ったことがある。その方は毎日詩を書いている。一方の私は既に「現役」を退いた。それに詩を教えることは人生そのものを教えること。私にそんな大役はとても務まらないのだ。 せめてもにと、「クチコミテーマ」の使い方について記した。詩を書く仲間が訪れたら、新しい交流も出来るだろうと考えてのことだが、その後も「クチコミ」を使う気配はなかった。こちらも静かに退散した。 あることにとても詳しい方が、私のブログにコメントをくれた。それに反論すると即座に2番目のコメントが入り、それにも異論を唱えると、「だから私は嫌われ者だ」と書いて来た。勿論私はそんなことを一言も書いてはいない。 私達一般市民は研究者ではない。だからいくら詳しい分野でも、判断ミスはある。私はそう思っているのだが、どうやらその方はそう考えてなかったようだ。姿が見えないネットの世界では、こんなすれ違いが時々起きる。 ある方のブログに書き込みをしたら、返事がなかった。それから数カ月経った頃、別の方のブログを何気なく見たら、かつて私が書いたことについて愚痴をこぼしていた。どうやら私の真意を曲解し、他の方に「告げ口」したようだ。その後2人のブログを訪れてはいない。 ただ、かつて「お気に入り」に登録したため、相手のブログが更新されれば自動的にその情報が入る。これもシステム上避けられないこと。神ならぬ身の人間が書くブログに誤解はつきもの。そう考えれば「出会い」と「別れ」は必然なのかも知れない。 最近は更新されないままのブログも目立つ。少し前まで各地のレースを転戦した走友達も、きっと歳を取って走れなくなったのだろう。私は走れなくなってもブログテーマに困ることはないが、趣味の幅が狭まるとブログの発信力が急激に衰える。 あれほど「言葉」に煩かった方が、最近は意味不明のことを書かれることがある。老化は自分ではなかなか気づかないもの。だからよほど注意していないと、いつしかブログも魅力を失ってしまうのではないか。 5年もの間ずっとコメントを書いていたのに、一度も来てくれなかった方がいた。ウルトラマラソンを走っていた私は結構辛抱強い方だが、それ以降諦めて読むだけになった。相手は楽天ブログでなかったため仕方なかったのかも知れない。 ところが同じブログで1カ月連続でコメントしても訪れてくれなかった方も。ある時、たまたま別な方のブログに毎日コメントしてるのを見つけてビックリ仰天。ほほう、この人は自分が好きなブログにだけはコメントを書くんだねえ。すっかり呆れ果てた私だった。 ある方からランキングへの「応援」を求められ、丁重にお断りした。つい最近のことだ。その方は既に200万アクセスを遥かに突破されている。だが文章と写真は過去のものを何度も使い回しされているみたいだ。 誰しも老化は防げず病気にもなる。だが、ブログは「等身大」の自分を見せる場。私はそう信じ、敢えて自分の老醜を曝している。たかがブログ、されどブログ。ブログは人間修業の場。ランキングなど争って一体何になる。私のそんな思いが、果たして相手に伝わったかどうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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