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マックス爺のエッセイ風日記

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2015.01.29
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カテゴリ:旅、温泉
<福州園・沖縄の中の中国(2)>

 昨年の10月末、私は久米島マラソンの帰途、那覇に寄り市内を歩いた。立ち寄った先の一つが福州園。ここは中国福建省の省都である福州市が、那覇市との友好を記念して作った中国式の庭園だ。今日もその庭園を紹介したい。詳しい説明は昨日のブログを参照して欲しい。


 福28-3.jpg 福27-2.jpg

 塀の透かし窓も玉を持った獅子も、いかにも中国らしい雰囲気が漂っている。


     福8.jpg

 13世紀に入ると沖縄本島の各地に豪族が現れ、競って中国との通商を始めた。中国の権威を借りるのと、中国から高い文化を導入し、貿易で収益を上げることが目的だった。やがて沖縄本島は中山王によって統一され、琉球王国が誕生する。そして中国の柵封体制下に入る。形式的に琉球王は中国皇帝の臣下となることによって貿易が許され、中国からは数年に1度柵封使が乗った船が那覇の港に着いた。


   福24.jpg 園内の石畳


   浮き彫り 福23-2.jpg 

 日本も古い時代から中国に使いを出していた。福岡県の志賀島から出土した金印がそのことを物語る。金印には「漢委奴国王印」と刻まれている。「漢の倭の奴の国」とは漢の支配下にある倭国(日本)の奴国(現在の福岡周辺にあった小国)との意味。奈良時代の遣隋使船、遣唐使船もそうだし、室町時代の勘合船も中国から学問や文化を学び、通商することが目的だった。だが大和朝廷は中国の臣下となる意思はなかった。それ以降の時代も全てそうだ。


福19.jpg 巨大な石塔

 中国は琉球王国を大琉球と呼び、台湾を小琉球と呼んだ。だが琉球王国は中国の柵封使に自由な行動をさせず、沖縄を島国と悟られないよう万全の注意を払った。もし島国と侮られたら、侵略される恐れがあったからだ。やがて琉球王国は八重山諸島を征服して傘下となし、その勢いで奄美諸島まで攻め入った。最盛期には貿易船が日本、朝鮮、中国、そして東南アジアの国々へと渡り、巨大な富で王国は繁栄した。


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 だがそれを日本は黙って見ていなかった。室町時代には足利将軍家が九州の大名に琉球を授ける約束をした。これは実現しなかったが、江戸時代早々、島津藩が琉球王国に侵入した。慶長14年(1609年)のことだ。勿論江戸幕府の承認を得てのことだ。東北で難破した琉球の船を救出したが、琉球王国から礼がなかったことも一因だった。100年前に武器を捨てた琉球王国は、わずか3日で島津藩の前に屈した。


   福16.jpg

 中国はそのことを知らなかった。琉球王国と島津藩が隠したからだ。隠した理由は、もしそのことを中国が知れば、莫大な貿易の富を失うため。中国は形式的にせよ臣下となった国に対して、貢物の数百倍もの品々を与え、琉球王国はそれを貿易品として収益を上げていた。中国から柵封使が来ると島津藩の役人は地方に逃げて姿を隠した。こうして琉球王国は中国と日本に二重に帰属し、その体制が明治初期まで続いた。


           福20.jpg

 明治新政府は琉球王国を「琉球藩」とした。そして琉球藩の船が台湾に漂着して蛮族に殺される事件が起きると、日本は清国に抗議して補償させると共に、琉球藩を沖縄県に改めた。これが「琉球処分」のあらましだ。かつて繁栄を極めた琉球王国はこうして日本の一部となり、琉球王は東京へ移された。勿論暴動を防ぐためだ。


  福22.jpg 福21.jpg

 さて、中国共産党は「沖縄は中国のもの」と主張し、機関紙で沖縄奪還を表明している。だが、沖縄は古い時代から日本語を話し、琉球王国の公文書は「ひらがな」で書かれ、本来の宗教は日本同様に原始神道だった。仏教も漢字も日本から伝わり、奈良時代の文献にも「阿児奈波」として名前が残っている。島の人が話した「おきなわ」がそう聞こえたのだろう。


福18-2.jpg 福12.jpg

 今沖縄では極めて少数だが「独立論」を叫ぶ人がいる。またそれを正当と捉えるマスコミも存在する。愚かなことだ。日本の一部が日本から独立することなどあり得ない。昔から同じ日本人なのだ。もし間違って独立したと仮定しても、きっと中国に飲み込まれてしまうはず。それは香港の現実を見れば分かる。民主的な政治を守るとの約束も、早速反古になりかけているではないか。それに沖縄の米軍基地反対運動には中国からも資金が出ているとの噂がある。


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 福州園は友好の証として作られた中国式の庭園だが、建築後23年目にして所々に「破れ」が生じている。見た目は美しいのだが、きっと素材や工事が雑だったのだろう。私にはそれが中国の現実の姿のように思えた。見栄えは良いが、実態はお粗末なのが彼の国の本質だ。


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 自らは中華思想にどっぷりと浸り、周辺の諸国は全て蛮族。それが中国の古代からの根幹思想。そして日本の過去を責めながら、現在でもチベット族やウイグル族などを圧迫し続け、資源の収奪を欲しいままにしている一党独裁の国家だ。そこには自由などありはしない。そんな中国のどこが良いのだろう。沖縄は独立してどこへ行こうと言うのだろう。


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 中国の権威の象徴である龍柱だが、中国の権威もそのうち「化けの皮」がはげるのではないか。それはあまりにも中国国民の格差が大き過ぎるからだし、国家としての矛盾点があまりにも多過ぎるためだ。福州園の庭園を、どこか冷めた目で見ていた私だった。<続く>





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Last updated  2015.01.29 07:25:00
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