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マックス爺のエッセイ風日記

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2015.11.03
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カテゴリ:写真
 5筑波画像.jpg 筑波山画像

 K村氏が悠然と現れたのはそれから30分ほど後のこと。いつものことながら悪びれた様子は全くない。出っ張った腹が目立つ。何年か前に奥さまが亡くなって以来、ずっと一人暮らしの彼。食事も自分で作っている由。奥さまの死因はすい臓がんだったそうだ。筑波山へ向かう車中で、彼は奥さまとの出会いや、初めて奥さまの実家へ行った時の話をしてくれた。


   車窓から見る筑波山 7筑波山.jpg

 T村さんの運転する車は「学園東大通り」を北上する。街路樹は大きくなり、道路の両脇にはたくさんの建物が建っている。私が31年前に去った後の変化が著しい。かつての職場が道路の左側に見えた。「学園西大通り」との合流地点も分かった。ここは「つくばマラソン」の前身である「筑波学園マラソン」(30km)のコースで、練習でも良く走った。つくばは私がランニングを始めた場所。走り始めてもう37年になる。


 学園7東大通り.jpg 学園東大通り

 東大通りはかつて行き止まりだった箇所からさらに北に延びていた。そこからやがて右折し、筑波山への山道に入った。当時は自転車の前と後に子供を乗せ筑波山まで遊びに来たことがあった。往復40km近かったが、さほど疲れることもなかった。やがて筑波山神社まで登り、ホテルの駐車場に入った。チェックインすると、まだ誰も来ていない。そのうち三々五々仲間が集まって来た。懐かしい顔ぶれだ。

      翌朝の筑波山 朝4筑波山.jpg

 麻雀のメンバーは私を入れて7人。地元のN沢さんは、何とここまで自転車で来た由。彼は麻雀はしないのに毎回参加する後輩。夕方からの懇親会には、先輩も参加してくれるようだ。今回参加出来なかったのは、私と同じ不整脈で入院した三重のFさんと、お母さんの介護で来れない埼玉のK沼さんの2人。参加メンバーの中でも長老のK間氏は胃がんの手術を受けた由。皆それぞれ歳を取り、健康上何らかの障害を持つ人が増えたようだ。


 夜景1不思議.jpg 露天風呂からの夜景

 誰かがYさんが亡くなったことを教えてくれた。ええっと驚く。彼も創設期のメンバーの一人で、確か年齢は私の4年先輩のはず。東北大学卒業の秀才で、試験は「上級甲」合格。イギリスに研修にも行ったし、岳父は大学の事務局長だから「鬼に金棒」。あっという間に出世し、部長になった人。退職後は私大で講義を受け持っていたはずだ。奥さまと我が家の女房は家族ぐるみの付き合いをしており、子供達の顔も名前も覚えている。これは驚いた。


          夜景2 夜景2.jpg
 
 死因は分からないようだ。今年の春にOB会の案内を電話でした際、奥さまが出て「主人は亡くなりました」と答えた由。3月くらいに75歳で亡くなったのだろう。先輩達が懇親会に来られるまでの間、早速麻雀を始めることになった。全自動の設備がなく、卓は手積みとのこと。そんなことより私が心配だったのは、果たして牌(ぱい)が見えるかと、ルールを覚えているかどうか。私は体調不良でこの会を2年連続で欠席し、麻雀は3年ぶりだったのだ。


 夜景3.jpg 夜景3

 幸い牌は何とか見え、ルールもちゃんと覚えていた。全く勝てなかったが、自分がここへ来れたことが嬉しかった。それにしてもなぜYさんは亡くなったのだろう。年賀状をやりとりしていたが、まさか病気だったとは。酔っぱらっては長野県民歌「信濃の国」を歌い、皆の肩を叩いたYさん。「捕鯨船日新丸」の口上も得意だった。東北大学の寮が当時「バンカラ」だった名残だろう。「歳月人を待たず」。その言葉が私の脳裏を巡った。<続く>

 





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Last updated  2015.11.03 04:45:41
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