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マックス爺のエッセイ風日記

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2015.11.05
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カテゴリ:旅、温泉
 大学ゆりのき通り.jpg ゆりの木通り

 車はかつての職場の構内に入り、ループ道路を南方向に下った。最初の事務局になった建物や各種の運動施設が見えた。ここは「つくばマラソン」のスタート地とゴール地点。そしてループ道路は、駅伝大会のコースでもあった。30代の若き日、私は所属部局のキャプテンとなって駅伝大会で優勝したこともあった。当時はまだ弱弱しかった樹木が、3倍以上の高さに茂っている。懐かしい風景に別れを告げ、つくば駅に向かった。


    つくば市吾妻地区 学園8吾妻公園.jpg

 お土産を買うと言うHさんと別れ、私はつくばエキスプレスで帰途に着いた。さよなら学園都市。次に来れるのは果たしていつになるだろう。いや、これが最後になるかも知れない。さよならHさん、来年は幹事よろしくね。そしてTさん車に乗せてくれてありがとうね。

 私は東京駅でお土産と缶ビールなどを買い、東北新幹線に乗った。1冊の本を手に取って見る。それはK間さんがくれた筑波山に関する共同研究。彼が読み終えたのを、わざわざ持参してくれたのだ。口はやかましいが、彼には昔からそんな優しさがあった。


 山1那須連山.jpg 那須連山(栃木県)

 眠ろうとしても眠れない。人は余りにも疲れると眠れないものだ。頭の中を麻雀牌が流れて止まらない。これも長時間麻雀をした後、私の脳を苦しめる現象だ。100kmから200kmのウルトラマラソンを走った後も同様に、レースの残像に苦しむのが通例だった。それにしても今回は良く筑波へ行けたものだ。改めて健康の有難さを思い知る。そして筑波勤務当時の思い出が走馬灯のように脳裏を巡る。


    甲子高原(福島県) 山2甲子高原.jpg          

 私が筑波で勤務したのは10年間。ここが4つ目の職場だった。創設期以来私は苦しんでいた。その第一は自分の能力のなさについて。それだけ同僚、先輩、そして後輩にも凄い人がいたからだ。私達の仕事は専門的な分野で、語学とコンピュータの知識が欠かせないのだが、私はそのどちらもが不得手だったのだ。この分野では珍しく総務的な仕事にも携わった私は、各職員の学歴や資格が全て頭に入っていた。


 山3安達太良.jpg 安達太良連山(福島県)

 彼らの多くは国立大学の卒業生で、申し分のない資格を有していた。それに対して私は私学の夜間大学卒業。資格も専門職としては最低のものだった。そこで出世争いで勝つのは到底無理。まだ状況が落ち着かない初期の段階なら私にも何とか務まるだろうが、機械化が本格的に進むにつれ私の居場所は徐々に無くなって行った。誰を恨むことも出来ない。全ての原因は自分の能力の無さに起因するのだから。

    吾妻連山(福島県) 山5吾妻連山.jpg
 
 そんなストレスが私を苦しめ、忙しい勤務の中で麻雀に走らせた。なかなか帰宅しない夫をそして父を、妻や幼い子供達はどれだけ首を長くして待っていたのだろう。そんな地獄から抜け出して私が向かったのは四国の小さな地方都市。そこでも新たな組織の立ち上げに従事した。そして忙しい仕事と酒と麻雀の日々。ここでも5年間、家族を苦しめることになった。その犠牲の下に立派な職場が出来た。あれは何もない所からたった一人で立ち上げた理想郷だった。


 朝7.jpg 筑波の夜明け

 妻も筑波時代の仲間も、私のそんな心境は知らない。管理職になっても何度か厳しい事態に遭遇して死のうとしたことがあった。ある方のブログに「自分がゴマを磨っていたら社長になれたはず」とあったが、専門職だった私達はゴマを磨って出世する世界にはいなかった。それに企業なら「ゴマ磨り」も一つの能力。己を捨てて組織に忠誠を誓うくらいの覚悟がなければ、きっと頂点には立てないのではないか。


        筑波の双峰 朝6筑波山.jpg

 今回集まった麻雀仲間は皆謙虚な人柄だが、ほとんどが管理職となり全国的な仕事をした連中だ。仲間の中にはその後研究職に転じて、教授や助教授になった人も多い。それに比し、私は退職後肉体労働者になった。何の能力もない人間は、体力勝負しかないのだ。その体も長年のウルトラマラソンと老化によって今やガタガタになってしまった。ビールを飲み終えて少しだけまどろみ、過ぎ行く山々を見つめていた。さて、来年は元気で岡山へ行けるだろうか。


 青葉通り.jpg
 青葉通りのケヤキ並木(仙台市)

 午後の1時過ぎ、仙台に着いた。青葉通りのケヤキ並木はすっかり黄葉が進み、金色の木漏れ日が美しかった。翌日には幹事のF氏から写真添付のメールが届いた。私はブログにレポートを書き始め、現像した写真を妻に見せた。住んでいた宿舎前の芝生だ。それを近く東京で会う次男に見せて欲しいと妻に託した。当時はまだ幼稚園児だった彼が、果たして覚えているかどうか。それを確かめるのも私の楽しみだ。


     つくば市吾妻地区 学園1.jpg

 そして今回欠席した三重のF森さん宛てに手紙を書いた。彼も私同様に不整脈で苦しんでいる由。手紙には今回の写真3枚を入れた。31年前に別れた筑波勤務時代の仲間達。あれから歳を取り、それぞれが31年分の人生を加えた。偉くなった仲間もさほど出世しなかった仲間も今や何の差も無い。多分昔からそうだったのだと思う。麻雀と言うゲームで結ばれた不思議な縁の男達。きっと女房族には、到底理解出来ない世界なのかも知れない。<完>
 





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Last updated  2015.11.05 04:44:32
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