カテゴリ:旅、温泉
伊達政宗像
戦国時代の末期、この一帯を支配していたのは大崎氏だった。だがそこで大きな一揆が起きた。秀吉は関東や東北の戦国大名に命じて一揆を鎮めようとした。この時家康も東北まで遠征している。だが政宗は一揆を鎮める名目で自分の領地を広げようとしていた。大崎氏を滅ぼし、天下の行く末をじっと見つめていたのだ。 このため、小田原の北条氏攻略にもなかなか参陣しなかった。秀吉の怒りを感じた政宗はようやく小田原参陣を決意し、白い死装束で秀吉の前に現れた。芝居がかったことが好きな秀吉は、それで政宗を許した。天下統一後の「奥州仕置」で、秀吉は政宗の所領を米沢から岩出山に移した。少しでも「天下」から遠ざけようとしたのだろう。 だが徳川の天下以降、政宗は領内の荒れ地や沼地を次々に開拓して美田とし、62万石の所領を実質100万石もの所領に変えたのだ。こうしてこの大崎地方は名だたる穀倉地帯になって行った。 前方に何かが見え出した。近づいて見ると道端で花や苗木を売っていた。これが岩出山の「互市」(たがいち)か。何とも淋しい市だ。前日の日曜日は雨だったため、来るのを止めた。翌日は良い天気になったが、人気がないのは月曜日のせいだけではないだろう。焼きそば、たこ焼き、綿菓子、リンゴ飴。そんな食べ物の出店ばかりで、肝心の市は淋しい限り。これは想定外だった。それでも気を取り直して、岩出山駅方面に向かった。 次に見えたのが刃物を扱う店。小父さんが老婦を相手に必死で話しかけ、何とか包丁を買わせようとしていた。 次は海産物の店。海から遠いこの辺りでは、とても貴重な存在なのか人だかりがしていた。 次は竹製品や箒(ほうき)などを扱う店。私が期待していたのはこんな風景だった。だが、誰も買う人はいない。元々お客さん自体が少ないのだ。閑散とした駅前通りをさらに進む。 ここは漬物でも扱っているのだろうか。まあまあの賑わいだった。 果物や野菜を並べたここにも、人影は全くなかった。 植木を扱う店も閑散としていた。この手前に果樹の苗を売ってる店があった。何種類かの渋柿や甘柿の苗がたくさんあって、買いたくなったが止めた。これからまだ訪れる先がある。そんな大きな苗を持って歩くのは辛いしねえ。 葉ボタンやシクラメンなどの花が、所狭しと並べられて客を待っているのだが、立ち寄る人は誰もいないようだ。結局私はさほど感動も覚えないまま、駅前に到着した。列車が来るまでには、まだかなりの時間がある。そこで旧駅舎を改造した店に入って見た。暇つぶしだ。 店の一番奥に「鉄道博物館」があった。博物館とは名ばかりの一見怪し気なコーナーだ。無料と言うので入って見る。熱心な鉄道マニアが集めたのか、結構珍しいものがある。だが由緒正しい博物館と違って展示がバラバラで、とても感心できる代物ではない。これは旧国鉄時代に使用した標識だろうか。お天気によって列車の運行や軌道の保線に注意したような気配を感じた。 これも珍しいと感じて撮った。藍染めの半纏の襟元には、白い字で「線路搗固音頭保存会」の名入り。「搗固」は「つきかため」と読むのだろう。昔は栗の枕木を砂利で固定していた。雨や雪で緩んだ砂利を、この歌を歌いながら「ヨイトマケ」のように木の道具で突き固めたに違いない。そうして線路を守ったのだ。その保線の様子が目に浮かんだ。 旧駅舎の売店で、地元の産品を売っていた。この縮み菜は1把100円と言う安さ。お向いさんへの土産も含めて2把買った。消費税はなし。きっと農家のお婆さんの小遣いにでもなるのだろう。 次に買ったのが「シソ巻き」。包装紙に包まれていたが、紙を破いて写真を撮った。ラップがかかって中が良く見えないが、これは小麦粉を混ぜた甘い味噌をシソで包み、油で揚げた郷土料理。あっさりしてご飯のおかずや、酒のつまみにとても良い。シソの香りも残っていて私は昔から好きな食べ物だった。沖縄のアンダーミソ(油味噌)の味に、似てないこともない。 そろそろ列車が来る頃。そこで隣の駅舎に戻ってホームへ入った。駅員はいるが、特に改札する様子もない。次の訪問地は2つ先の東大崎駅で降りる。料金は180円。跨線橋のガラス窓に何やら蝶々が止まっていた。これはアカタテハだろうか。長崎のブログ友、ローズコーンさんが好きそうな蝶々だ。ここまでは当初の予定よりもスムーズに来れ、1本早い列車に乗ることが出来た。さて、これから先はどうだろうね。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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