カテゴリ:旅、温泉
逆さまの挨拶で失礼するが、ワシはアカタテハの赤兵衛。宮城県の県北の町、岩出山に住んでおる。もっとも今は合併して大崎市になっとるがの。ふぉっふぉっふぉ。今日は有備館の建物を中心に案内しようのう。 ほら池の向こうに見えるのが有備館じゃ。岩出山伊達家は政宗の四男宗泰が開祖じゃが、第2代宗敏公は岩出山城の麓に隠居所を造られた。そのときに庭園も整備されたんじゃ。その隠居所を家臣子弟の学問所にしたのが有備館なんじゃよ。 建物は延宝5年(1677年)頃に建てられたと伝えられておるんじゃ。今からざっと340年ほど前のことじゃ。それが「東日本大震災」で崩壊してしまった。国指定の史跡、名勝である有備館を建て直そうと、市は必至の努力をしたんじゃよ。それが実って建物は再び日の目を見た。今は内部の資料配置のために休館しておるが、庭園と建物の外観は見られるんじゃよ。 これが南方向から見た主屋じゃ。見事に復元されとるのう。 これは橋越しに建物の側面を見とるぞ。 東南の角から見とるが、後は池でギリギリなんじゃ。 これも東南の角からじゃ。ワシは空を飛べるが、人間は池に落ちるでのう。ふぉっふぉっふぉ。 これは主屋を北西方向から見とる。 そしてこれは建物の側面と言うか裏側と言うか。むにゃむにゃ・・ 木が邪魔じゃが、これが側面全体じゃ。 これは「お上の間」の入口じゃ。岩出山伊達家の当主の部屋のようじゃのう。ここには「付け書院」も設けられており、掛け軸がかかっておるそうな。 庇に家紋が浮き出ておるぞ。右側は伊達家の九曜紋じゃが、左の大根をクロスさせたような紋は、どうやら岩出山伊達家の紋のようじゃ。 欄間の装飾も見事じゃのう。上が流水紋で、下が伊達家の「竹に雀紋」じゃよ。 これは建物の間取りじゃよ。北側の棟が学問所として使われていたんじゃ。 今は中に入れないから、パンフレットの写真を借りたぞよ。手前から15畳の上の間、奥が10畳の中の間(御改所)、そして一番奥が10畳の下の間じゃ。庭に面していて、実に広いのう。これで有備館は終わりじゃ。 次は有備館のお隣にある森民酒造店を案内しようかのう。ここが正面の門じゃよ。酒柱(杉玉)が掲げられとるじゃろ。これは新しい酒が出来上がった合図でもあるんじゃ。 なになに?良く見えないじゃと。ふ~む。それでは拡大したものを載せておこうかのう。この酒柱(杉玉)は、酒の神である奈良の大神(おおみわ)神社に感謝するため、境内の杉の葉を丸めたのが初めてなんじゃ。今でも神社の近くには、杉玉を造る専門の店があるんじゃよ。ふぉっふぉっふぉ。 これは土蔵。幾つもある中の一つじゃが、見事なもんじゃのう。 そしてこれが土蔵と店舗じゃ。マックス爺さんはこの店で4合瓶を土産に買ったようじゃ。どれワシも一杯飲むとしようかのう。ふぉっふぉっふぉ。冗談じゃよ冗談。ワシらは酒は飲めんのじゃ。イラクサの汁でも飲みに行くか。ではまたの、旅の衆。これでワシの案内はお終いじゃ。<完> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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