テーマ:暮らしを楽しむ(387519)
カテゴリ:生活雑記
広瀬川に架かる大橋の上から、青葉城を見上げる。雨に曇る天守台は、まるで墨絵を見るようだ。 こちらは少し上流側にある地下鉄東西線の専用橋梁。既に試験運転も済み、運用許可も下りた。12月6日開業だが、「一日乗車券」を500円で買うと、その日は乗り放題になる。 大橋を渡ると直ぐ、道路の左側にこの標識が立っている。ここは政宗の重臣だった片倉小十郎景綱の屋敷跡。政宗の近習だった彼は、政宗が家督を継ぐと重臣に抜擢され、数々の殊勲を建て政宗を守った。後に1万8千石取りの白石城主となる。大事な最南端の守りを仰せつかったのだ。 仙台城下での屋敷も、一番城に近い場所を与えられた。彼は秀吉や家康から10万石の大名に取り立てる話をもらったが決して動じず、最後まで主君に仕える道を選んだ忠臣。明治以降廃藩置県が敷かれると、片倉氏は代々藩祖政宗を祀る青葉神社の神職となる。子孫も筋金入りの忠臣なのである。 広大な屋敷跡及びかつて馬場であったその周辺は、今荒れ地になっている。戦後ここには不法建築のバラック建てが並んでいた。中には建て替えて、立派な家も何軒かあった。その不法な「追廻住宅」は全て撤去され、目下再開発される日を待っている。 旧三の丸付近に来ると、前方に標識と仙台城の地図が見える。道路の反対側は「国際センター」で、その裏にも地下鉄の新しい駅が出来た。ここから先の右手一体(旧二の丸跡)には戦後進駐軍の駐屯地があり、MP(軍事警察)の兵士が警備のため立哨していたものだ。もちろん一般市民は立ち入れず、直進して青葉城に向かうことだけが許されていた。 坂の入口の樹木がきれいに紅葉している。私はそのまま進まずに、左手に曲がった。 現在は長池と呼ばれているようだが、れっきとした濠。三の丸を守るための濠なのだ。これに沿って歩き、三の丸の裏口に向かう。 この付近の地図の拡大部分。一番下の濠を左に進み、濠が切れた辺りが三の丸の裏門があった場所。 今は門もなく自由に入れるが、何となく城跡のイメージがある。 これが旧三の丸裏門の石垣。長い年月と重なる地震の影響で、少し石が緩んでいる。ここを右折して、仙台市博物館の裏に出る。 博物館の裏口から見える風景。紅葉した樹木があるのは、かつての土塁の上。やはりここは城跡なのだ。 そしてこれが仙台市博物館の裏口。私がここへ来たのは「特別展・宇和島伊達家の名宝」を観るためだった。常設展では、片倉小十郎関係の資料が新たに展示されるとも聞いていた。約2時間ほどを館内で過ごす。そのことに関しては、改めて紹介することにしたい。 観覧を終えて博物館を出る。これは構内つまり旧三の丸の背後の樹林だ。 ここが博物館への入口。三の丸の表門があった場所。今では石垣が潰れそうに感じるほど、大きな樹木が茂っている。 五色沼の紅葉。ここもかつては三の丸の濠だった。水源は二の丸の奥にある池。山から湧き出る水はその池に溜まり、いざと言う時城内の人々の飲み水になった。 良く見ると、沼に水鳥が浮かんでいる。北国から飛来した鴨のようだ。今年もまたそんな季節がやって来た。 この何の変哲もない沼が、わが国で最初にアイススケートが行われた場所。時は明治時代。第二師団の将校が、氷が張ったこの沼で、滑ったのが最初なのだそうだ。男子フィギュアスケートのエースである羽生結弦選手も、実は仙台市の出身。マックス爺の氷雨の中の散策は、さらに続く。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|