テーマ:暮らしを楽しむ(387527)
カテゴリ:生活雑記
博物館と美術館で時を過ごした私は、再び氷雨の中に飛び出した。さてどうする?まだ体力はありそうだ。そこで帰路は山越えで帰ることにした。今から青葉城(仙台城)経由で家まで歩く。先ほど写真を撮った隅櫓の角を曲がり、青葉城への道を登った。五色沼へ流れ下る沢の上に、真っ赤な紅葉が見えた。恐らくこれが今年の紅葉の見納めになるはず。冷たい空気に曝されて、傘を持つ手が冷えて来る。 ピンボケだが、これが天守台付近の図面。仙台城には元々天守閣がなかった。東側は広瀬川と50mほどの崖に守られ、南側は深さ50mほどの竜の口渓谷に守られ、西側は深い森に守られていた仙台城は難攻不落の城。そこで天守閣に代わっておかれたのが、書院造の大広間だったのだ。これは丹波篠山城(兵庫)と同じ構造だ。 護国神社の鳥居を潜る。これは城の搦め手にある鳥居なのだが、表の方を撮り忘れたため便宜上順番を変えて載せた。 そしてこれが社殿。護国神社は国のために亡くなった人を祀ろうと、明治になって創建された神社。今日は11月23日で新嘗(にいなめ)祭。秋の収穫を神に感謝する日なのだが、今は勤労感謝の日と名を変え、国民の祝日となった。だが、雨の境内にはほとんど人影がない。 本殿の内側も、し~んと静まり返っているばかり。 国に代わって神事を執り行うため、神紋は菊のご紋である。 さて、境内に戻って周囲を眺めて見よう。先ずはたくさんの絵馬が架けられている。 こちらにも別の絵馬が。果たして念願は叶ったのだろうか。 面白い形の御神籤奉納所があった。 こちらは普通の奉納所。たくさんの御神籤が結んであった。 これはヒョウタン型の絵馬。恐らくは「伊達の瓢箪」のエピソードから作られたものだろう。秀吉の時世、京都の醍醐で盛大な花見が催されたことがあった。大名はそれぞれ趣向を凝らし、町人などに扮装して花見を楽しんだ。その時政宗はみすぼらしい瓢箪を配って歩いたのだが、評判は良くない。皆は陰でヒソヒソと話し合った。「なんと仙台殿はけちな殿よのう」と。 ところが暫くして政宗は見事な一頭の馬を引き連れ、先刻瓢箪を受け取った者にその馬を授けたのだ。その際政宗が発した言葉は「それ、瓢箪から駒が出た」と。人々はようやく政宗の深い心に気付いたのだ。そこで一斉に褒めそやした。「さすがは仙台殿。剛毅なものよのう」と。これが後世に「伊達の瓢箪」として残る、醍醐の花見の政宗の逸話だ。 小さな小屋の中で、菊花展が開かれていた。丹精された花が、小屋の中に幾つも見えた。 今年初めて見た大輪の菊が、実に見事だった。 中にはこんな細い糸のような花弁の白菊もあった。 順番は違うが、社殿の脇には懸崖作りの小菊が飾られていた。 こちらはその反対側にあった小菊。 青葉城址では、政宗の騎馬像や「荒城の月」の作詞をした土井晩翠のレリーフなども撮ったのだが、いずれ紹介することにしたい。写真は竜の口渓谷。深い谷から次々に雲が湧いて来るようだ。今はここに吊り橋が架かっていて車も通行しているが、私が少年の頃は本当の吊り橋で、渡るとゆらゆら揺れたものだ。 この日歩いた距離は合計で8kmほどになった。朝から歩き続け、博物館と美術館の展示も観た。その疲れが出たのか、その夜私は9時間も昏々と眠った。風邪を引かなかったのがせめてもの救いだったかも知れない。<完> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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