カテゴリ:文化論
11月23日。私は氷雨の中、仙台城三の丸跡にある仙台市博物館に行きました。 これが仙台市博物館の正面玄関です。玄関の上に「特別展 宇和島伊達家の名宝」の看板が掲げられています。実は私が訪れたこの日が、最終日だったのです。65歳以上の仙台市民は半額で入れます。先ずは常設展をちらっと見ました。伊達政宗の家臣、片倉小十郎関係の資料が新たに展示されたと聞いたためです。 これが片倉小十郎景綱の肖像画。常設展の展示物はフラッシュを焚かなければ、撮影を許されています。伊達家の重臣である片倉家は初代の景綱以降、当主は代々「小十郎」を名乗ることになっています。 彼は神職の子として生まれましたが、両親は小十郎が幼い時に亡くなります。20歳年が離れた異父姉の喜多が彼を育て、姉が政宗の乳母になると小十郎も近習として取り立てられます。 片倉小十郎景綱に宛てた、徳川家康からの書状です。 白石城の図面です。「人取り橋の戦い」以降、景綱は小田原征伐、二度の朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどで何度も伊達家の危機を救いました。その活躍が評価され、仙台藩の南端を守る白石城主となるのです。これは「一国一城令」の特例として認められたもの。小十郎景綱の力量を、家康も認めていたのでしょうね。 片倉氏の旗指物で、「鐘」を意匠しています。戦いの時に誰が戦っているのか、この「標」で分かりました。 小十郎景綱の軍配です。これを馬上で振って、戦いを指揮したのです。大坂の陣では病床に伏していたため、嫡男の重綱(後に重長)が参陣しました。戦った相手は真田幸村親子。来年の大河ドラマの主人公がこの真田氏ですが、「冬の陣」、「夏の陣」で彼らは全滅します。実はこの時、重綱は密かに一人の男児を救って白石城で自分の子として育てます。その子がやがて成人し、仙台真田氏を継ぐのです。 以下は「プレーミュージアム」に展示してあった東北の玩具です。最初は仙台の「松川だるま」。青い色が特徴の縁起物で、毎年少しずつ大きめの物を揃えて神棚に飾るのが習わしです。 仙台市の「木下駒」です。 これも上に同じ。木彫りの馬です。 「仙台張子」の人形です。張子は紙を何重にも張って造ります。 こちらは仙台張子の飾り馬です。 山形県米沢市の「相良人形」です。とても素朴な味わいがありますね。 福島県三春町の「三春張子」の、とてもおめでたい人形です。町の名は、梅、桃、桜の3つが同時に咲くことから「三春」と名付けた由。中でも樹齢数百年の「滝桜」が有名です。 青森県八戸市の「八幡馬」です。南部は古来より馬の名産地でした。明日は「特別展」を紹介します。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[文化論] カテゴリの最新記事
|
|