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マックス爺のエッセイ風日記

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2015.12.28
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カテゴリ:旅、温泉
<旅行、小旅行編>

 今年も何度か旅へ出た。体調が悪くなるのが心配でさほど遠くへは行かれなかったが、やはり旅は楽しい。県内の歴史を訪ねる日帰り旅行へも何度か行った。郷土のことを知るのは、祖先の歩みを学ぶことでもある。今日はそんな旅のまとめをしたい。


  98.jpg 奥入瀬渓流

 6月初旬、妻と十和田湖温泉及び奥入瀬渓流を訪ねた。妻が駅まで迎えに来てくれる温泉を探していたので、いっそのこと、ついでに観光が出来るのはどこが良いかと私が考えて選んだ。十和田湖と奥入瀬渓流は、新婚の年にも訪ねたことがあった。あれから45年経ち、今は東北新幹線が走っているので便利。

 十和田湖畔の乙女像を訪ねた時は北風が吹き荒れて寒かったが、高村光太郎作の彫刻を間近で観られて感激した。翌日はそこからバスで奥入瀬渓流まで行き、「雲井の流れ」から「焼山」までの9kmを渓流に沿って歩いた。国立公園でもあり、特別名勝に指定された奥入瀬渓流は、まるで宝石の翡翠のような流れだった。きっと死ぬまで忘れられない光景になるだろう。私はそんな風に感じている。


  盛岡市志波城遺跡公園 志波1-1表.jpg 

 6月下旬にはJRの「大人の休日倶楽部フリー切符」を利用して、北東北の歴史を訪ねる旅に出た。前年の晩秋、旅先の奈良で妻と大喧嘩になりほとほと苦労したため、この旅以降はずっと単独行動となった。第1日目の盛岡では、ブログ友ニッパさんの案内で、先ず志波城遺跡公園を訪ねた。ここは大和政権が築いた古代の城柵の最前線で、最も北にあって蝦夷と対峙した城。それを発掘調査に基づいて、一部復元したのだ。

 ニッパさんにはその後も「盛岡市遺跡の学び館」、「盛岡歴史文化館」などを案内していただき、心から感謝している。盛岡城跡公園を訪ねた後JR花輪線で移動し、次の訪問地へ向かった。


  5-19万ス.jpg 大湯環状列石

 向かった先は秋田県の鹿角市。十和田南駅で降り、タクシーで大湯温泉へ行った。ここのホテルで一泊し、翌日向かったのが有名なストーンサークルだ。縄文時代の貴重な遺跡で、ここには2つの巨大な環状列石などがあった。住居は離れた場所にあり、ここは石を積み上げた墓場で、あったのは十数棟の櫓跡。つまりストーンサークルは宗教施設なのだ。死者を悼み、子孫の繁栄を祈る神聖な場所。念願のその地に立てて、私は幸せだった。


       五能線の風景 五能線14.jpg

 東能代から五能線に乗った。快速電車「リゾートしらかみ」は全席座席指定。その指定席券がないまま列車に乗り込み冷や冷やしたが、結果的には大丈夫だった。この沿線は世界遺産の「白神山地」を含めてリゾート地が多く、車両が限られているため指定席が取れないのだ。私は青森県の鰺ヶ沢で下車し、ここのリゾートホテルに宿泊。温泉は地下深くから噴出する「化石水温泉」で、これは数十万年前の海の名残。舐めると実に美味しい塩味だった。


  1-5現代.jpg 十三6青磁器3.jpg

 第3日目に行ったのが津軽半島の付け根にある「十三湖」。この日は梅雨の大雨で、ずぶ濡れになりながら湖の中にある中島に渡り、資料館を見学した。ここは古代から中世にかけて活躍した安東(安藤)氏の本拠地。沖を流れる日本海流を利用し、蝦夷地や中国大陸との貿易で巨大な利益を上げたのが安東一族だった。

 写真は左側が現在の十三湖。地震で日本海への出口が狭まったが、かつては湖の内側に港や屋敷町が並んでいた。右側は中国からもたらされた見事な青磁。これは翌日「青森県立郷土館」にあったもの。十三湖からの帰路途中でバスを降り、亀が岡遺跡付近の「縄文館」を訪れたが、国宝の土偶などは東京国立博物館にあって、めぼしい物は置いてなかった。共に大雨の中の探訪で、きっと忘れられない思い出になるだろう。


       安東氏木像 十三1安藤氏.jpg 

 最終日は早朝に弘前市のホテルを出て、青森市に向かった。駅から歩いて行ったのが「青森県立郷土館」。ここでたまたま北前船の写真展をやっていた。中世から昭和の初期まで日本海を航行し、蝦夷地(北海道)や東北各地の産品を大坂まで運んでいた船だ。その航路を「西廻り航路」と呼び、私が泊った鰺ヶ沢もその寄留地だったのだ。これによって上方の文化が東北にもたらされた。

 その基礎となったのが、安東氏らが推進した外国貿易。そして驚いたことに、ここには十三湊発掘の遺物が数多くあるだけでなく、亀が岡遺跡の縄文館で観ることが出来なかった「遮光器土偶」をもここで発見した。偶然にしても何ともラッキーな出会い。やはり歴史はその舞台を訪ねると、より真実が見えて来るものだ。


  朝3筑波山.jpg 朝焼けの筑波山

 10月の末に茨城県の筑波山に行った。筑波勤務時代の悪友達との麻雀大会だった。体調不良などのため、私は3年ぶりの参加だった。この場で30年ぶりに2人の先輩とお会いすることが出来た。また別の先輩2人の死を知った。前日は筑波勤務時代に10年間住んだ宿舎を訪ねた。庭の樹木が大きく育ち、街並みはさらに整備されていた。何もなかったあの頃に比べたら昔日の感がある。懐かしい土地を訪ねることが出来て幸いだった。


  6月志波城跡で 旅6志波自分A.jpg

 最後に宮城県内の小旅行だが、3月の初めに県南の丸森町を訪ねた。蔵が11もある斎理屋敷の見学だった。かつての地方財閥の栄華を知って驚いたものだ。3月下旬には県北の登米市を訪れた。ここには「みやぎ明治村」がある。旧登米県庁庁舎、旧登米尋常高等小学校、旧登米警察署など明治時代の建物が良く保存されていた。また休日ながら「森の舞台」も見学出来た。木造の見事な能舞台だった。

 5月は12km走って「秋保工芸の里」のこけし工房などを訪ねた。6月は全国の走友達と、松島湾に浮かぶ3つの島を15kmほど歩いた。そして11月は大崎市の岩出山伊達家の学問所である有備館を訪ね、その帰路には古代の玉造郡の「郡が」跡である「名生遺跡」を訪ねることが出来た。県内の小旅行のほとんどが観光目的と言うよりは、郷土史を学ぶ旅。まあまあ充実した1年だったように思う。<続く>






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Last updated  2015.12.28 05:56:33
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