カテゴリ:芸術論
<生出森八幡神楽>
太白山遠望 昨年の10月末、私は仙台市歴史民俗資料館主催の「れきみん秋祭り2015」へ行きました。外の芝生公園で伝統芸能が実演されることを知っていたからです。私が観た2番目の踊りは「生出森八幡神楽」。これで(おいでもりはちまんかぐら)と読みます。生出森とは太白山の古名。この中腹にあるのが生出森八幡神社で、ここには舞台がありますが、私はまだ神楽を観たことがありませんでした。では早速神楽の様子を紹介しましょう。 お囃子を担当する人達です。太白山から10kmほど離れた名取市に、平安末期に創建された熊野三社があります。そこには京都の白川家に800年間伝わる榊流神楽が奉じられていました。明治初期、生出森八幡神社の氏子達は、夜な夜な熊野三社に通い、その神楽を見て学んだそうです。その甲斐あって仙台市無形民俗文化財に指定されるほどの神楽になったのです。 神楽とは天の神を招魂し、鎮魂し、神の動作を真似るもののようです。一説によれば天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に隠れて世の中が真っ暗になった際、アメノウズメノミコが半裸で舞ったのが最初と言われています。神々の笑うさざめきの声が聞こえて思わず顔を出した所を、タジカラオノミコトが思い切り岩戸を開き、再び世の中に太陽の明るさが戻ったと言われる神話です。恐らくは皆既日食だったのだろうと考えられています。 神官の姿で踊る「四方拝」(しほうはい)の舞です。舞の源が何だったのかを感じさせます。 厳かな舞が続きます。 この舞のお囃子を担当してるのは若い女性達でした。 中には男性も混じっていました。 厳粛な「四方拝」の舞はここまでです。 巫女(みこ)の姿をした女性がしずしずと現れました。 2番目の舞「神子の舞」(みこのまい)の始まりです。本来巫女は「神子」と書いたのかも知れませんね。その方が実態に近いように思います。 ひょっとして巫女は天照大神なのでしょうか。「神子の舞」はこれで終わりです。 次に立派な天狗の面を被った男が舞台の上に現れます。 これは日本武尊(やまとたけるのみこと)。三番目の舞「国鎮の舞」(くにしずめのまい)の始まりです。 実は宮城県南部の青麻(あおそ)神社に日本武尊伝説が残っています。 北の蛮族を退治に来た武尊は戦いで死に、魂は白鳥になって都に帰ったとの言い伝えです。 奈良時代には阿倍比羅夫が海路秋田の蝦夷を、征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸路岩手の蝦夷を、さらに文室綿麻呂が青森の蝦夷を征伐しています。日本武尊の伝説は恐らく弥生時代の開拓に伴うものだったのでしょう。 「国鎮の舞」には、きっと大和朝廷の北進政策が投影されているのだと思います。 日本武尊伝説の舞は、ここ生出森八幡だけでなくさらに東北の北部へと伝えられて行きます。 宮城県北部から岩手県北部にかけても、その伝説を伝える舞が残されているのです。 神楽は歴史そのものではありませんが、形を変えて遠い時代の出来事を現代の私達に伝えてくれます。 ここからは仙台市歴史民俗資料館にあった「生出森八幡神楽」の写真です。参考までに載せました。 実際に神社の舞台で舞われたものです。これは「神子の舞」ですね。 「国鎮の舞」の実演風景。 生出森八幡神社でもあの「東日本大震災」の折りには、鳥居や神社裏の岩が崩れるなど大きな被害が出ています。次回は「雄勝法印神楽」を紹介します。どうぞお楽しみに~!! <不定期に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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