カテゴリ:写真
「れきみん秋祭り」を連載中ですが長くなります。そこで先日取材した大崎八幡宮のどんと祭と裸詣りを割り込ませていただきますね。
一の鳥居と扁額 「大崎八幡宮」は仙台の旧市内西部、青葉区八幡にあります。元々は征夷大将軍坂上田村麻呂が、現在の岩手県奥州市水沢区に九州の宇佐八幡宮を勧請して鎮守府八幡宮を創建したのが始めです。これを室町時代に奥州探題となった大崎氏は現在の大崎市田尻に遷祀し、尊崇していましたが伊達政宗に滅ぼされます。 政宗はこれを悼み、当時の居城であった岩出山に大崎八幡宮として遷移しました。後に岩出山から仙台城に移った際、多くの寺社と共に大崎八幡宮も遷移したのです。こうして現在地に移されたこの神社は「仙台総鎮守」として、これ以降仙台の人々に尊崇されることになりました。 石段前の風景 1月14日。「小正月」のこの日、大崎八幡宮の境内では、神事の松焚祭が行われます。これは神社の行事としての正式名で、市民の間では「どんと祭」として親しまれています。お正月飾りを持参した市民がどんとの火に投げ入れ、無病息災を祈ります。また商売繁盛、家内安全を祈って市内の善男善女が裸参りを挙行するのもこの日です。 「長床」前の風景。他の神社の神門に相当します。江戸初期のもので、国の重要文化財に指定されています。 長床の裏面です。 長床に懸けられた垂れ幕です。 奉納された神馬の絵馬です。(長床内) 奉納された弓矢です。(長床軒先) 奉納された造酒(左)と仙台名物の縁起物「松川だるま」(右)です。 拝殿 大崎八幡宮の社殿は仙台藩祖伊達政宗公の命により、慶長9年(1604年)から3年間をかけて創建した桃山様式の建造物です。旧豊臣家お抱えの巨匠を招いて建造された社殿は、随所にきらびやかな金具と黒漆で飾られ、極彩色のます組みは桃山建築の真髄として、建物全体が国宝に指定されています。 拝殿の一部(左)とその内部(右)です。 拝殿の側面です。 拝殿の軒下です。 (参考資料:パンフレットから)左は拝殿主要部。右は軒下のます組みです。 御神体遷座図(慶長12年作、参考資料:パンフレットから) 拝殿格天井の格子絵(参考資料:パンフレットから) 社務所と神職。 巫女(左)と縁起物の破魔矢(右)。 参拝客(左)と引いた御神籤を結んだ枝(右)。 境内の「八幡石」(左)と社務所の富士山の絵(右)。 参拝客で賑わう境内と、延々と続く屋台の群れ。この日大崎八幡宮を参拝した客は10万人に達したそうです。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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