カテゴリ:芸術論
<雄勝法印神楽2>
雄勝法印神楽(おがつほういんかぐら)は国の重要無形民俗文化財。昔々山形出羽三山の修験道(法印)によって、宮城県石巻市雄勝地区に伝えられたとされています。2つ目の演目は「日本武尊」(やまとたけるのみこと)。そうなんです。この白い面を被ったのが日本武尊です。 「やまと」は日本の国のこと。「たける」は雄々しい男。そして「みこと」は男子の尊称です。従って日本武尊は古代日本の英雄だったと言うわけです。 父に蛮族を退治するよう命じられたタケルは各地に遠征してその地の蛮族を征伐します。 九州では熊襲(くまそ)や土蜘蛛(つちぐも)を退治して、タケルの名声は高まります。 その勢いを恐れた父は、タケルに東北の蝦夷退治を命じました。 勿論命令を拒むわけには行かず、タケルは都から古代東北へと向かいます。 タケルは途中熱田神宮の斎宮である叔母に挨拶に立ち寄り、宝剣「草薙の剣」を借用します。 ところがタケルは老婆に騙され、宝剣を奪われてしまいます。 実は老婆は鬼の化身でした。屋根の上に登ってタケルを待ちうける鬼。 福島県には今でも「安達ケ原の鬼婆」伝説が残っています。 鬼が待ち受ける家の前までタケルがやって来ました。 頭上から突然タケルを襲う鬼。 タケルも屋根の上の鬼に気付きました。 両者の力は互角。 手に汗握る熱戦が続きます。 宝剣を取り戻そうとして、鬼の背後に迫るタケル。 鬼も宝剣を奪われないよう必死で抵抗します。 ついに宝剣に手をかけるタケル。 長い戦いの末、タケルは鬼に奪われた宝剣を取り返しました。 タケルは喜び勇んで踊ります。 一つ前の仙台市太白区の「生出森八幡神楽の国鎮之舞」でも日本武尊伝説は神楽の形で伝えられていましたが、さらに北にある石巻市雄勝地区にも、舞としてタケル伝説が残されているのが不思議です。舞が終わりに近づくと、踊り手は仮面を脱いで観客に顔を見せます。 日本武尊は伝説上の人物ですが、きっと古代日本にはそれに近い人が実際にいたのでしょうね。 国の重要無形民俗文化財に指定された神楽は、さすがに見応えのある立派な舞でした。このような神楽が今も引き継がれていることに、宮城県民として誇りを感じます。<不定期に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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