カテゴリ:芸術論
<早池峰岳神楽2>
早池峰岳神楽(はやちねたけかぐら)は岩手県の秀峰早池峰山の麓にある早池峰神社に奉納される神楽で、500年以上の歴史があります。国指定の重要無形民俗文化財であり、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている舞は、岳(たけ)と大償(おおつぐない)と言う、いずれも花巻市のはずれにある山村の集落で細々と守られて来たのです。最初の鶏舞(とりまい)が終わって、今は2番目の「天女」が舞われています。 天女の舞は面をつけ、晴れ着を着て踊ります。まるで天上から日本列島を見降ろしているかのように。 恐らくは大変な過疎地の農民によって伝えられて来た舞なのでしょう。 しかし、これは武骨な農民が舞って来たとは思えない優雅なものなのです。 ヤマトの国の繁栄を寿ぐかのような天女。 天女が被っているのは、お祝い用の烏帽子(えぼし)です。 天女は永遠の頬笑みを浮かべながら、静かに舞台を去って行きました。 ここから演目が変わります。3つ目の「女五穀」(おんなごこく)です。 手に持っているのは植物が染め抜かれた布。きっとこれを五穀に見立てているのでしょうね。 五穀とは人が常食とする5種類の穀物で、米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)のこと。稗(ひえ)も入るとの説もあります。神話ではイザナミノミコトが火の神を産んだ時にほとを火傷して重傷を負いますが、それでも粟や稗などを産み続けたと書かれています。「ほと」は陰部のこと。この時の怪我が元になり、彼女は死んで黄泉の国に下ります。 縄文時代は採集だけでなく栗やエゴマなどの植物を栽培していたことが判明しています。 最近の研究では、縄文人は粟や稗なども栽培していたと考えられています。 大切な稲が大陸から日本列島にやって来たのは弥生時代。沖縄ではアマミキヨ、シネリキヨの男女神が五穀を持って沖縄本島の北側からやって来ます。 二人は海人(あま)族で、さしずめイザナギとイザナミに相当します。 沖縄本島南端の知念半島の海岸に、受水走水(うきんじゅ、はいんじゅ)と言う小さな田圃があります。そこが2人の神が沖縄で最初に田植えをしたと伝えられる田圃です。 一方日本列島では、あっと言う間に今の青森県まで稲作が広まります。 だがその後で稲作出来る範囲が南へと後退してしまいます。 稲作が東北の北部に再び戻るのは数百年後。寒さに強い品種が完成した後だったのです。 ともあれ、冷涼な北の大地で食べて行くのは大変なこと。 「五穀」に感謝するのは当然のこと。そしてそれを与えた神に感謝するのは当然のことだったのでしょう。 山間部の僻地に今も伝わるこの舞には、人々の「食」への願いが籠められています。 神社の名を大きく示すこの動作は、神への感謝以外の何物でもないでしょう。 有難きかな、穀物の霊。有難きかな、早池峰の神。 穀物と神々への感謝の舞は、まだまだ終わることがありません。<不定期に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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