テーマ:暮らしを楽しむ(387764)
カテゴリ:生活雑記
早池峰岳神楽
「れきみん秋祭りシリーズ」をようやく書き上げた。仙台市歴史民俗資料館を訪れたのは昨年の10月24日。そこで宮城県や岩手県の伝統芸能や伝統工芸を観た。その際、簡単な紹介はしたが、神楽の紹介は今年に入ってからになった。ブログネタが乏しくなる冬季に残しておいたのだが、170枚近い神楽の写真をどんな風に紹介すべきか悩んだ末でもあった。動画ならいざ知らず、似たような写真が多く、しかも神楽の各シーンには一切の説明がなかったからだ。 宮城県内の神楽も岩手の早池峰岳神楽も観るのは今回が初めてだった。早池峰は東北の秀峰で、日本百名山にも選ばれた山。数年前、岩手の姫神山に登った時、遥か南方に白い雪を戴いた山が見えた。あれが早池峰山だった。昨年の正月に亡くなった妻の兄から、何度か早池峰山に登った話を聞いた。自分もいつかはと思いつつ、加齢と病気でついに山頂に立つことは適わなかった。義兄は写真が趣味でもあり、あの神楽も撮っていたように思う。 神楽などほとんど興味がなかったのに、今回このシリーズをブログに紹介したことで、私自身の意識が変わった。どれもが素晴らしい舞だった。歴史、伝統、人々の信仰心、そして昔からの東北の暮らしを思った。庶民の間で長年守られて来た伝統芸能。それを伝えた人々が決して豊かではなかったことを思うと、よくも今日まで連綿と伝えられたものと想う。ただの静止画を連ねただけだったが、それでも何らかの意味があったと思いたい。 男女の便所神 古いコタツ布団を裁ち鋏で切り、ゴミ袋に詰めて捨てた。ある時妻が鼻をつまみながら「臭い臭い」と言って私の部屋に入って来た。何せほぼ一日中部屋の中に閉じ籠っているため、加齢臭がきついのだろう。でも私は言った。「カーテンもコタツ布団も洗ってないんだよ。それにコタツ布団は破れているし」。遮光性のカーテンはこの家を建てた時以来ずっと洗っていないし、コタツ布団に至ってはこれまで30年近く使って来てボロボロなのだ。 まあ自分が死ぬまでそれでも良いかと思っていたのだが、妻がそんなことを言ったので、私も少々反撃したのだ。そんなことを忘れていた頃、彼女は私の部屋に何かを運び込んで来た。コタツ布団に代わりそうな製品だが、幅が足らない。彼女は「工夫して使って」と言い残して去った。そこで古い毛布を2枚ほど引っ張り出し、クロスさせてコタツ布団に変えた。まあまあ暖かい。これなら何とか大丈夫そう。何せ我が部屋で唯一の暖房器具がコタツなのだから。 これまでのを捨てるついでに、古いシーツや腋に穴が開いたセーター、襟が擦り切れたシャツも引っ張り出してゴミ袋に詰めた。これでかなりさっぱりした。何せ私の部屋の狭い押入れには、妻が不要になった毛布やシーツの類が何枚も積まれていたのだ。長年使用されないそれらは、押入れの肥やしでもあった。さらに遮光性のカーテンに○ァブリーズでもすれば、部屋の臭いはかなり減ると思うのだ。ただし私自身の加齢臭は別として。 我が家の山茶花 K先生の死を新聞で知った。東大の名誉教授で天皇陛下の主治医を10年ほど勤めた医師だ。私は3つ目の職場で若き日のK先生と何度か顔を合わせたことがある。あの時先生は確か、老人内科の研修医だったはず。良く私の職場へ来ては、調べ物をしていた。その頃から白髪頭で、私は相当年上だとばかり思っていたのだが、享年は74歳となっていた。私と2学年違っていただけで、とても意外な気がした。 先生はとても寡黙な人だった。今生天皇の前立腺がん摘出手術にも2度立ち会ったようだ。確か日本学士院の院長も務めたように記憶しているが、最近は物忘れが多いのであてにならないかも知れない。11も職場を異動し、様々な研究者と出会ったが、強い印象を残した学者の一人だった。あの野武士のような風貌が忘れられない。慎んでご冥福を祈りたい。合掌。長くなったので、続きはまた明日にしよう。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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