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マックス爺のエッセイ風日記

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2016.02.01
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カテゴリ:写真
<雪の五大堂>


  五1.jpg

 松島へ行ったのは、雪の五大堂を撮りたいためでもあった。松島海岸の直ぐ傍にある小島。その島に小さなお堂がある。小型の漁船に雪が積っていた。


            五2.jpg

           島に近づくと、五大堂の屋根が見えて来る。


  五5.jpg

 小島との間に、赤い橋が架かっているのが見える。後で渡る「透かし橋」だ。


            五7.jpg

      これは島の東側から見た透かし橋。右手に「特別名勝松島」の石碑が立っている。


  五6.jpg

   こんなに岸に近い島なのに、長年の波の浸食で岩肌がすっかり削られている。


             五9橋.jpg

 これが透かし橋。これを渡って五大堂に行くのだが、足元の隙間から海が見える。これは緊張感を持って参拝するための工夫らしい。


  五11小社.jpg

    手前の島にある小社もすっかり雪だ。


             五10橋から島.jpg

             橋の欄干から見る福浦島


  五12橋の先.jpg

   2つ目の透かし橋とその先の小島にある五大堂。


    五13.jpg

     ようやく雪の五大堂が姿を現した。


  五26堂.jpg

 この小さな堂宇である五大堂は、瑞巌寺に所属している。伝承によれば平安初期の大同2年(807年)征夷大将軍坂上田村麻呂が奥州の蝦夷征伐の際に毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。その後平泉の中尊寺や山寺立石寺を開いた慈覚大師円仁が瑞巌寺の前身である円福寺を創建した際、この小島に仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に五大明王を安置したことにより「五大堂」と呼ばれることになった由。


  五24扁額.jpg 五23.jpg

 現在の堂宇は慶長9年(1604年)、仙台藩主伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した東北地方で最古の桃山建築で、国の重要文化財に指定されている。中に安置された五大明王像はケヤキの一木造りで平安中期の作。同じく国の重要文化財に指定され、33年に一度開帳される。前回の開帳は平成18年(2006年)であった。

 左は「五大堂」の扁額で、右は堂宇の扉。


    五15.jpg

 建立当時は極彩色が施されていたであろう堂宇も長年の海風ですっかり色彩が剥落し、元の白木に還ってしまった。まさに盛者必滅の様相を呈している軒下。


  五14.jpg 五25.jpg

     歳月の経過を物語る屋根と軒。


 五16ネズミ.jpg 五17牛.jpg

 軒下には十二支の動物が全て彫られている。左甚五郎の作らしいが真偽のほどは分からない。左は子(ねずみ)で右は丑(うし)。


     五18猿.jpg

     今年は申歳なので、猿だけ大きくしてみた。因みに私は今年年男である。


   五22手水.jpg 五19.jpg

     手水鉢(左)にも雪が積っている。右は石灯籠と松島の島々。


     五20堂.jpg 

       五大堂を正面から見る。


        五27橋A.jpg

 再び2つの透かし橋を渡って、次の訪問地である「観瀾亭」へと向かった。歩く人足跡<続く>





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Last updated  2016.02.01 16:42:09
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