カテゴリ:写真
<雪の五大堂>
松島へ行ったのは、雪の五大堂を撮りたいためでもあった。松島海岸の直ぐ傍にある小島。その島に小さなお堂がある。小型の漁船に雪が積っていた。 島に近づくと、五大堂の屋根が見えて来る。 小島との間に、赤い橋が架かっているのが見える。後で渡る「透かし橋」だ。 これは島の東側から見た透かし橋。右手に「特別名勝松島」の石碑が立っている。 こんなに岸に近い島なのに、長年の波の浸食で岩肌がすっかり削られている。 これが透かし橋。これを渡って五大堂に行くのだが、足元の隙間から海が見える。これは緊張感を持って参拝するための工夫らしい。 手前の島にある小社もすっかり雪だ。 橋の欄干から見る福浦島 2つ目の透かし橋とその先の小島にある五大堂。 ようやく雪の五大堂が姿を現した。 この小さな堂宇である五大堂は、瑞巌寺に所属している。伝承によれば平安初期の大同2年(807年)征夷大将軍坂上田村麻呂が奥州の蝦夷征伐の際に毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。その後平泉の中尊寺や山寺立石寺を開いた慈覚大師円仁が瑞巌寺の前身である円福寺を創建した際、この小島に仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に五大明王を安置したことにより「五大堂」と呼ばれることになった由。 現在の堂宇は慶長9年(1604年)、仙台藩主伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した東北地方で最古の桃山建築で、国の重要文化財に指定されている。中に安置された五大明王像はケヤキの一木造りで平安中期の作。同じく国の重要文化財に指定され、33年に一度開帳される。前回の開帳は平成18年(2006年)であった。 左は「五大堂」の扁額で、右は堂宇の扉。 建立当時は極彩色が施されていたであろう堂宇も長年の海風ですっかり色彩が剥落し、元の白木に還ってしまった。まさに盛者必滅の様相を呈している軒下。 歳月の経過を物語る屋根と軒。 軒下には十二支の動物が全て彫られている。左甚五郎の作らしいが真偽のほどは分からない。左は子(ねずみ)で右は丑(うし)。 今年は申歳なので、猿だけ大きくしてみた。因みに私は今年年男である。 手水鉢(左)にも雪が積っている。右は石灯籠と松島の島々。 五大堂を正面から見る。 再び2つの透かし橋を渡って、次の訪問地である「観瀾亭」へと向かった。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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