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マックス爺のエッセイ風日記

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2016.02.03
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カテゴリ:写真
<瑞巌寺の境内1>

  瑞1石標.jpg  瑞6標識拡大.jpg

 瑞巌寺(ずいがんじ)の門前に戻りました。左の石標には「国宝瑞巌寺」と彫られています。右は境内に立っていた標識で寺名の由来について書かれています。


  瑞2門柱.jpg 瑞3看板.jpg

 そしてこれが山門の左右に懸けられていた看板です。


    瑞4扁額「桑海禅林」.jpg

 扁額には「桑海禅林」とあります。「桑の海」はこの世、「禅林」は禅の道場と言う意味。つまり瑞巌寺は修業の場であることを世にアピールしているのです。


  境内1.jpg

 境内に入ると早速目の前に岩窟が見えて来ます。この寺は平安時代の初期天長5年(828年)に慈覚大師円仁によって開基された天台宗の寺で、延福寺と称されていました。鎌倉時代の中期13世紀半ば、執権北条時頼が法身性西和尚を開山とし円福寺と改称、臨済宗建長寺派の禅寺として生まれ変わりました。


    境内2.jpg

 円福寺は鎌倉幕府の庇護のもとに大いに栄え、室町時代も五山十刹制度の十刹に位置づけられ末寺と共に発展したのです。だが戦国時代になると寺運は衰え、戦国末期には妙心寺派に属することになりました。


 境内7.jpg 境内12.jpg

 江戸時代の初め、仙台藩主となった伊達政宗は幼少時代からの恩師である虎哉禅師の勧めにより、現在の大伽藍を完成させました。さらに寛永13年(1636年)政宗の遺言により松島に招かれた雲居禅師の努力により、奥羽でも指折りの禅寺となったのです。周囲には現在も残る円通院、陽徳院、天麟院などの寺院も建立されました。


  境内6.jpg

 岩窟はまだ天台宗だった頃、ここにたくさんの僧が籠って修業していたのです。


    境内4.jpg

 ガイドさんの説明によれば、その厳しい修業の場も数百年後には規律が乱れて来たとのことでした。


  境内8トイレ.jpg 境内3.jpg

 左は修行僧専用のトイレです。昔は「ご不浄」とも言いましたね。用を足した後は海岸の砂を被せた由。それがたくさん溜まると始末したのでしょう。


    境内14.jpg

 今は無人の洞窟ですが、一頃は大変な数の修行僧がここに籠って一心不乱に読経していたのでしょうね。


  境内15.jpg

   自然の岩山に石碑が2段に刻まれています。


    境内13.jpg

   岩山を見上げると、小さな祠がありました。これは神仏混淆だった時代の名残でしょうか。


       境内11崩落.jpg

 中には崩落してしまった岩窟もあります。最近の度重なる大地震のせいでもろい岩山が崩れ、境内のあちこちで補修工事が行われています。


  境内17杉林.jpg

 境内の杉並木です。この巨木も度重なる塩害で枯死するものが増えて来ています。遥か樹上には「セッコク」が宿り、季節になると美しい花を咲かせます。


        境内16.jpg

         雪を被った地蔵尊です。


    瑞8工事中.jpg

     工事現場の向こうに国宝の庫裏(台所)が見えて来ました。<続く>





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Last updated  2016.02.03 06:58:40
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