テーマ:路線バスで小旅行(250)
カテゴリ:写真
<鳴瀬川河畔の家>
3番目の古民家の前には、こんな看板が出ていた。「鳴瀬川河畔の家」って何だろうね。それにお茶や漬けものが振舞われるんだって?ふ~ん。ところがそれが後でちょっとしたことになるんだよね。 これが「鳴瀬川河畔の家」。宮城県の色麻(しかま)町にあった養蚕農家で、中二階式構造を持ってる家屋なんだよ。 これが1階部分の間取り図。やはり中に厩(うまや)がありますね。 良く日が当たる廊下と縁側ですねえ。 そこに干されていたのは大量の白菜。きっと漬け物にするんだろうね。 こちらにも何か干してありますねえ。 こっちは唐辛子とヒョウタンみたいだよ。ふ~ん。 これは「釜神様」。主に宮城県北部と岩手県南部の旧伊達領に見られる風習で、竈のある台所に飾ってあるんだ。 囲炉裏近くの土間で、お茶と漬け物のサービスがあった。もう2時間も外を歩いて体は冷え切っていたので、嬉しい言葉だった。そこでボランティアの小母さんに聞いてみたのさ。ダメ元で「ここでお握りを食べても良いですか」とね。でも返って来た答えは「ここは文化財なので」だって。 文化財は分かるさ。それなら何故そんな場所でお茶や漬け物を提供するの?勿論汚す積りはないし、ゴミだって持ち帰る積りでいるんだけどねえ。それに彼女らには暖かい飲み物や休憩場所が他に用意されているみたいだよ。 おまけに「じか箸」まで注意されてしまった。こちらは目が良く見えない老人。「傍にあるプラスチックの小皿に取って食べて」と何故言えないのだろう。それに手づかみで食べ、後で台ふきんで手を拭く昔ながらの方法みたい。それならついでに爪楊枝も用意してくれたら助かるんだけど。 結局お握りはこの後数十分してから、トイレの中にあった休憩所で食べた。多目的ホールでやっていた「なまはげ和太鼓」でも、立ち入り禁止場所だと言って外へ出されたが、私の他にも同じように撮影していた人はいたんだけどねえ。この2つの小さな出来事が、私の心をちょっぴり曇らせてしまったんだよね。 そんなこともあって早々に土間を引き上げたものだから、その周囲ではあまり写真を撮らなかったんだよね。これは昔懐かしい炭俵。 この家にも神棚が備えてありました。昔の家には必ずあったのでしょうね。 その神棚に張ってあった紙です。 こちらも同じ。この切り抜かれた「模様」に護符としての役割があったのでしょうね。 神棚の上に飾られていた「松川ダルマ」。仙台で生産される昔からの伝統工芸品です。 こちらは床の間の掛け軸。かつて歌枕だった、大崎市の緒絶橋を詠んだ歌のようです。 2箇所の階段はとても美しい構造でした。1階部分がかなり高いことも分かりますね。 中2階の間取り図。物置きは養蚕の作業場であり、付近の鳴瀬川が氾濫した際は逃げ込む場所でした。1階部分が高かった理由が頷けます。 中2階の襖です。よほど裕福な家だったのでしょう。 屋敷の一角にある板倉。母屋(おもや)の目の前にあります。 板倉の母屋に近い位置に小舟があります。鳴瀬川が氾濫し、家が危険と判断される場合はこの舟で脱出したのでしょうね。 色麻町はウルトラマラソン仲間の合同練習会で毎年走って通るコース。さて、そんな危険な箇所があったかなと疑問に思って地図で確認したら、町の東北部が鳴瀬川に接していました。この家は低湿地にあるため、いざと言う時のために、中2階や舟の準備が必要だったのです。色んな暮らしの形があるものですね。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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